「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(へブル1:2)

Pastor Ino

↓メッセージが聞けます。

今回は、「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(へブル1:2)からのメッセージです。今回からしばらくの間、へブル人への手紙からメッセージを語って行きたいと思っています。今まで、マルコの福音書からメッセージを語って参りましたが、イエスが旧約聖書に預言された救い主(キリスト)であることは理解していただいたと思います。へブル書は旧約聖書の引用が多いので、旧約聖書との関係の中で、イエスの働きを、へブル書からさらに学んでいきたいと思っています。聖書を学ぶ時の原則である、個々の聖句をその文脈との関係の中で学んでみたいと思っています。それでは、へブル書1章1-14節を読んでいただきたい。まず、イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方、万物の相続者であり、私たち信仰者を兄弟とよんでくださり、被造物管理の働きに招いてくださっている、そのことを語って行きたいと願っています。
 
1章1,2節には、「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」と書かれている。旧約聖書から、新約聖書の時代が来たことがこの箇所から明らかにされています。旧約聖書も素晴らしい書物であり、多くの方々により、いろいろな方法で書かれてきた。旧約聖書は、39の書物の集まりであり、律法、儀式、いろいろな制度、王たち、預言者たちを通して、神の啓示が示されてきた。その中には、律法や儀式を守ることを通して救われていく約束も書かれている。出エジプト19章4-6節には、イスラエルの人たちと神との契約がモーセの十戒が与えられる前に、次のように書かれている。「もしあなたがたが、・・わたしの契約を守るなら、・・わたしの宝となる。・・あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」この契約を守れなかったイスラエルの民に対して、救い主が与えられていく預言も旧約の大切なメッセージである。主にユダヤ民族に対しての契約である。それに対して、新約聖書は、イエスの働きにより(古い時代が終わり)、新しい時代がイエスによってもたらされたことが明らかにされている。詳しくはへブル書8章1-13節をみてほしい。キリストが仲介者となり、新しい契約が結ばれたことが書かれている。その対象も一つの民族でなく、全世界の民族へと変わっていく。それでは、御子と呼ばれるキリストはどのような方であろうか。彼は、万物の相続者であり、世界を造られた方(ヨハネ1:1-3)、神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであると書かれている。神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れとは、キリストは神であることを明らかにする言葉である。この方は万物を保っておられるとある。創造された方が、この世界を支えてくださっていると理解できよう。さらに、3節には、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれたとある。キリストは、祭司として、十字架での贖いの業を完成し、今は神の右の座に着かれた方である。
 
次にキリストはみ使いに勝る方であることが、4節から2章にわたって書かれている。4節には、「御子は、み使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけみ使いよりもまさるものとなられました。」とある。み使いの役目は、14節を見ると、「み使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされたのではありませんか。」と書かれている。救いの相続者とは、私たちクリスチャンのことであり、み使いは私たちに仕えるために神から遣わされているのである。マタイ28章2―7節には、イエスの空になった墓で、マグダラのマリアたちに現れたみ使いの言葉が記録されている。参照してほしい。それでは、御子であるキリストはどのような方であろうか。8節には、あなたの御座は世々限りない、10節には、地の基を据えられた、12節には、あなたは変わることがなく、とある。キリストはみ使い以上の方であり、変わることのない、創造主であることが言及されている。
 
続いて、へブル書2章3節には、すばらしい救いがあることが明らかにされ、その救いとは、み使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスによってもたらされたことが説明されている。9節には、「イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。とあり、10節には、「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」と書かれている。すばらしい救いは、神であるイエスの尊い十字架での犠牲によってもたらされるのである。3,4節を読んでみると、この救いは主によって語られたものであり、しるしと不思議が伴うものであり、聖霊の業であり、賜物であると書かれている。私もイエスを信じて変えられた人生を経験している。皆さんもそうであろうと思う。一人一人の人生に神は関わってくださっていると私は信じている。さらに、万物の存在の目的、また原因とあるが、次回はこのテーマを取り上げて、被造物管理の働きに言及していきたいと思っています。

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