使徒9:10-19「そこでアナニヤは出掛けて行って」

Pastor Kitazawa

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○前回は、使徒の働きの9章から・・、キリスト者迫害の中心人物であったサウロが、ダマスコ(ダマスカス)という街の近くまでやって来たとき・・突然の強い光によって、地に倒されてしまった・・その出来事を観てゆきました。

・そしてきょうは、そのサウロが、あの後どうなっていったのかについてお話ししたいと思っております。

➀目が見えなくなったサウロは、ダマスカスの街に運び込まれます。

・この後、神さまは、このサウロを、心からの回心へと、また、再生へと導くために一人の人物を彼のもとに遣わすのでした。

・このダマスカスの街に、アナニヤという主イエスの弟子がおりました。 

・彼は、けして特別な才能の持ち主ではなく、実に素朴な・・しかし、真に心砕かれた敬虔な信仰の持ち主でした。

・きょう開いている9章から10節の聖書個所は・・神さまが、そのアナニヤに、サウロを訪ねるようにと説得しているところです。

・神さまは、彼に先ずこう語ります。「立って、まっすぐという通りに行き、タルソ出身のサウロという男を訪ねなさい」

・ところが、アナニアは「サウロ」という名前を聞いた途端、凍りついてしまうのでした。

・それはそうです。サウロは、当時のキリスト者にとっては、恐ろしい殺し屋でしかなかったからです。

・アナニヤは神さまにこう答えます。→「主よ。私は、多くの人々から、その人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。」

・しかし主はそのアナニヤに、こう語られるのでした。
「行きなさい。あの人は、わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」

➁つまり、平たく言えば、神さまは、アナニヤにこのように言っているわけです。
「アナニヤ、あなたにお願いします。わたしの選びの器を助けてあげてください。」

・勿論、このような神さまの願いを聞き入れないアナニアではありませんでした。

・17節にはこのように書かれてあります。→「そこで、アナニヤは出掛けて行って・・」

・そうです。このアナニヤは・・それが、神さまの望み・・神さまの願いであるとわかると・・たとえ、それが如何に不条理に思える事であっても・・、如何に受け入れがたい事であっても・・柔和で、心柔らかい彼は、そのときの自分の気持ちや、自分の考えを一旦背後に退かせて・・神さまの示されたことに、己を従わせてゆく・・そういう信仰者であったのです。

・私はこのアナニヤの、この従順さ、純真さに感動します。 そして、このような器こそ神さまに用いられるにふさわしい器に違いない。・・そう思わされるのです。 

・ところで・・この後、対面したアナニヤとサウロの二人は、どんな会話をすることになったのでしょうか・・。

・ここは、私の様な者の説明より・・聖書をそのままをお読みして方がいいと思います。
 神さまに引き合わされたこの二人の様子はこの様でありました。
 
・17節 →アナニアは出掛けて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。
 「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが私を遣わされました。
あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。

・そうです。アナニヤは、サウロに向かって、文字通りまっ直ぐに神さまの御心を伝えるのでした。

・この聖書記事を記していったルカは、この時の様子について、次のように付け加えました。→
 「するとただちに、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになった。」
「彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。」

・この短い説明からも、このアナニヤの温かさがにじみ出ています。

・聖書にはそれ以上の記述はないので、これは私の想像でしかありませんが・・私は、この時アナニヤは、実は、サウロが元気づく、しかるべき、心のこもった温かい食べ物を持参していったのではないだろうか・・そんな気がしてなりません。

③迫害者であったサウロが、地に倒され、そして回心に導かれ・・そして、新しく生まれ変わり・・(つまり、新生し) 今度は、使徒パウロとして再生していった・・この出来事こそ、世界宣教への一大起点になったことは、もう言うまでもありません。

・そうです。アナニヤは、この歴史的出来事で、神さまから決定的役割を担ったのでした。

・どうして神さまは、このように重要な役目をこの平凡なキリスト者アナニヤに託したのでありましょうか・・ここに、神さまからの大事なメッセージがある、私はそう思うのです。

・そういえば・・聖書が記している、歴史的転換点で、神さまがなさった御業を考えてみますと・・あることに気が付きます。

・例えば・・旧約聖書時代、あのモーセが、事情あって、生まれて間もなくパピルス製のかごに入れられてナイル川の茂みに隠されたときです・・ 

・籠に入っていた赤ちゃんモーセは、大河のナイルに浮いていたのです。 そうです。モーセの命は風前の灯火でした。しかし、そのかごに入っている赤ちゃんを取り上げた人がいたのです。

・それは、パロの娘だ、と思っておられる方がおられるかもしれませんが・・本当は違います。

・川を流れてきたその生まれたばかりの赤ちゃんのモーセを取り上げたのは、一人の侍女だったのです。 その人の名前は聖書には載っていません。つまりその人はいわば名もよくわからない「はしため(servant girl)」だったのです。

・「はしため」(servant girl)といえば、救い主イエス・キリストの母となったマリアという女性もそうでした。

・彼女はある日突然、主の使いガブリエルから「おめでとう、恵まれた方」と言われます。(きょうは時間の関係から、その時の出来事を詳しく説明しませんが・・)

・そのときマリアはこう答えます。 「ほんとうに、私は主のはしためです。 どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように・・」

・こうして、どこにでもいる、極極平凡な一人の女性マリアは、救い主の母という大役を担ったのでした。

・そして、きょうの聖書個所もそうです。パウロの回心と再生の場面。ここでもまた、神さまが用いられたのは、アナニヤという極極普通のキリスト者であったのです。

・そうです。 神さまの御業がなされるとき・・その主役の片隅に、きわめて重要な役割を担うことになった・・どこにでもいる、平凡で・・穏やかで・・素朴で、純真な、いわば普通の信仰者が随所に用いられてきたのでした。

・世界はどう動いてきたか・・誰が動かしてきたのか・・。「ある人は、ほんの一握りの天才といわれる人たちが、歴史を造って来たのだ。 またある人たちは、「世界を動かしてきたのは、誰も思いつかない発見や発明をなし得た人たち、また、多くの人の人気を得て、大きな権力を手に入れ、多くの人間を操って来た者たちだ」そのように申します。

・つまり、この世を動かしてきたのは、どこにでもいる平凡な人間たちではなく、いい悪いは別として、いわば特別力のある者たちによって世界は動かされてきた・・そして今でもそういう者たちが動かしているのだ・・そのように言う人が多いのだと思います。

・確かにそういう場面は多く、そういう意見もうなずけます。
 では・・そういうことだけで、人類の歩みがなされてきたのでしょうか・・

・しかし、聖書の記事全体を眺めてみますと・・確かに、神さまは、特別有能な者を用いておられます。たとえば、ノアとか、・・アブラハム・・モーセ・・ダビデ・・イザヤ・・そして、使徒パウロ・・そういう天才型の人間たちを神さまは用いておられます。

・では、凡人は神さまのなさる様々な御業に、登場しないのでしょうか? 
凡人は神さまの御業にあまり必要ないのか、と、いうことを考えてみますと・・ 先ほどまで観てきましたように・・けしてそうではないということがわかります。

・そうです。先ほども、何人かの例を挙げましたが・・神さまのなさる御業の中で、最重要な場面には、そこではむしろ、特別な人とは思えない・・世間では余り注目されていない、いわば普通の人物が起用されている・・そこでは、意外にも、むしろ影がうすい人物が用いられている・・そのことを聖書は伝えているのではないでしょうか・・。

・きょう注目している、このアナニヤも、正にその代表格の一人だったのです。

④回心し、サウロから、使徒パウロになった彼は、Ⅰコリント12章22節~23節の所で、教会を人の体に例えて、このように語っています。

・「体の中で比較的に弱いとみられる器官が、かえって、なくてはならないものなのです。
 また、私たちは、体の中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。」

・愛する皆さん。 IBFの皆さんは、優秀な方が多いと思います。・・しかし全員が、社会の中で、特別尊ばれているというわけではないかもしれません。 

・しかし、神さまは・・神さまに愛されていることを信じている、そのあなたを・・神さまのその尊い働きのために用いる方なのであります。

・神さまは、今週も、そのあなたの口を通して・・あなたの手や足を通して・・あなたのその優しい心を用いて・・また、あなたの内にある様々な賜物を用いて、御業をなされるに違いありません。

・ですから私たちは、勇気をもって、今週もまた、日々の、一瞬一瞬を、神さまに用いられながら、一歩一歩前進してゆきたいと思います。

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