「不信仰に打ち勝てるように助けてください」(マルコの福音書9章14節~29節)

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今日のマルコ9章は、悪霊に取りつかれた少年を癒す話です。この箇所は信仰というか、不信仰の問題を取り上げています。聖書箇所を読む前にお祈りしましょう。

(マルコの福音書9章14節~29節を読む)

<信仰の重要性>

弟子たちには息子を癒すことができなかったと、父親が知らせた時、イエスは19節でこのように答えています。「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

イエスの言葉は少し厳しいように聞こえます。マルコ6章に、イエスの故郷で、イエスが救い主だと信じる人が少なかったので、イエスは奇蹟を多く為すこができなかったとありましたが、その箇所が思い起こされます。マルコ6章6節で「イエスは彼らの不信仰に驚かれた」と書かれています。

これらのイエスの反応は、5章で出血が止まらなかった女性を癒した時のイエスの反応とは、まるで違っています。マルコ5章34節では、イエスはこう言っています。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

イエスが違う反応を示したことは、私たちのイエスへの信仰がとても重要だということを教えています。イエスがどなたなのかを知り、それを信じ、イエスの御力(みちから)を信じる私たちの信仰の重要性です。

<信仰を導いてくださいと祈ろう>

今日のマルコ9章の聖書箇所に戻ると、私たちはこの父親の不信仰をすぐに批判するべきではないと気付きます。多分、この父親は、イエスに癒す力があること以外は、イエスのことを深くは知らなかったのでしょう。人間は物事に疑い深いものです。

この父親の素晴らしいところ、それは、24節で「信じます。不信仰な私をお助けください」と叫んだ点です。

父親は信じたいと強く願い、自分の信仰が十分ではないことを正直に認めています。

これは私たちにも言えることなのではないでしょうか。何故なら、クリスチャンであろうとなかろうと、私たちは神を疑うことがあります。私たちの神への信仰は完全ではありません。

でも、今の信仰の状態でいいから、不信仰でもいから、わたしのみもとに来なさいと、神は私たちを招いておられます。神さま助けてくださいと、私たちが求めていくことを、神は願っておられるのです。そして、神を知ることで、私たちが成長し、更に信仰を強めていけるように神は望んでおられます。もっと深く神を知ることで、信仰を深めることができるからです。

結局、息子を癒したのは父親の信仰ではありませんでした。悪の力から息子を解放したのは、イエスでした。でも奇蹟を起こすために、父親のわずかな信仰も必要としました。父親の信仰は薄かったけれども、わずかな信仰でも、信仰がないよりはましです。イエスご自身がマタイ17章20節で、「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです」と言っています。

神は私たちの信仰があってもなくても、驚くような素晴らしい御業(みわざ)をなされます。でも神は私たちとの交わりを求めておられるので、世界を癒し、変えるプロセスの中に私たちを巻き込んでくださいます。たとえ私たちがとても弱い存在であっても、私たちを用いてくださるのです。

<サタンを打ち破るために来られたイエス>

その少年はとても幼いころから、サタンの力の支配を受けていました。しかしイエスはサタンに勝るお方です。そしてサタンが壊したものを建て直すことは、イエスの使命です。第一ヨハネ3章8節には「神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」とあります。

サタンと死に対する闘いのクライマックスは、十字架の上でした。イエスが十字架で死んだ時、サタンが勝利をおさめたかに見えました。でも、私たちクリスチャンが信じているように、イエスは墓の中に留まってはいなかったのです。イエスはよみがえり、サタンと死に打ち勝ちました。サタンの業(わざ)の結果である病(やまい)、そして死は今日(こんにち)の世界に未だに存在していますが、それらが私たちの未来を支配することはできません。

<三人のクリスチャンの友人が感じたこと>

最近、クリスチャンの友人のグループで一緒にこの箇所を読みました。この箇所で彼らが感じたことを皆さんにシェアしたいと思います。

その前に、どのようにこの箇所を読んだかをお話しします。私たちは、lectio divinaという方法で聖書を読みました。これはクリスチャンが昔からやっている聖書を読む方法で、ゆっくり、祈りをもって、黙想しながら読みます。目に飛び込んでくる単語や節に注意を払いながら、私たちはこの箇所を4回読みました。合間には、この箇所を通して語ってくださいと聖霊に祈りました。黙って静かにする時間も持ちます。

では悪霊に取りつかれた少年の箇所について、3人の友人がどう思ったかを紹介します。

ある女性の感想はこうでした。「この少年と父親はずっと辛かっただろうなぁと心が痛みました。私はこの少年の中に自分を見るような気がします。何故なら、私も過去に悪魔によって力が奪われたような経験をしたからです。それは身体的な意味でありません。日本でクリスチャンとして、また宣教師として仕える時に、力が弱められるような経験でした。

また、悪霊が日本の教会の力を弱め、神の民の宣教を邪魔しているように感じます。

だから、私たち日本にいるクリスチャンは、イエスに従うことを阻止しようとしている悪魔の霊的な力と、霊的な闘いを現実にしていると思います。自分自身のためにも、日本の教会のためにもしっかりと祈らなければならないと感じています。

もう一人の女性の感想はこうでした。「なぜ弟子たちは少年を癒すことができなかったんでしょうか。マルコ6章で、弟子たちは、癒す権威と汚れた霊を追い出す権威をイエスから与えられましたよね? もしかしたら、弟子たちは、奇蹟を為すことに自信過剰になっていたのではないかと思います。突然、この少年を癒せなくなったことで、弟子たちはイエスの力に依り頼むことの大事さを改めて感じたと思います。弟子たちは、癒しと汚れた霊を追い払う権威は与えられたけれども、イエスの力に頼らなくてはいけない弱い人間に過ぎません。これは私にも言えることで、イエスの力ではなく、自分の能力や才能に頼っている自分に気付かせてくれる箇所だと思いました。

日々、母としてやらなければならないことがたくさんあって、いっぱいいっぱいな毎日なのですが、正直に言うと、まず祈りから始めることができていません。私が主により頼まない限り、主のために力を発揮するのは難しいと思います。」

最後に、男性が次のように感想を言ってくれました。「私が心に響いた箇所は19節で、イエスが少年の父親に、私のところに息子を連れて来なさいと言ったところです。イエスは奇蹟を為すことができるのに、あなたや私といった普通の人々を巻き込もうとします。この点を考える時、周りの人々のために祈って、そして実際にその人々をイエスのみもとに連れて来なさいと、私はイエスに言われているように思います。

私は自分の力では奇蹟を為すことはできないけれども、私たちの主イエスは奇蹟を為せる方ですよね。私にとって不可能でも、神にとっては不可能ではありません。また、私が求める全てが神の御心と一致しているとは限りません。ですから私が祈る方法や祈るタイミングが何か違っていて、神が私の祈りにお応えにならない時でも、神に信頼することが大切だと思います。

3人の友人の感想を聞いて、同じ聖書箇所を読んでも、違う思いが与えられることに、皆さん気付いたでしょう。聖書は私たち一人ひとりに違うことを語ります。ですから、一人ひとりが自分のユニークな視点を分かち合うことは、聖書をより深く理解する助けとなるでしょう。皆さんも、今日紹介したような方法で聖書講読を進めてみてはいかがでしょうか。一人でもできますが、クリスチャンの友達と試せたらいいですね。

必ずしも直接会わなくてもいいと思います。LINEで感想を送り合ったり、短く電話で祈り合ってもいいですよね。

今日紹介したlectio divinaという聖書の読み方についてもっと知りたい方のために、その方法をプリントにまとめました。教会の入り口のところに置いたので、どうぞお持ちください。日本語と英語両方あります。

<結び>

最後にまとめです。イエスはご自分が誰であり、何をするために来られたかを信じるように、私たちを招いておられます。イエスは神の御子(みこ)で、悪の業(わざ)を打ち破るために来られました。

私たちは信仰の弱い者です。でも、今日の箇所の父親のように、「不信仰に打ち勝てるようにどうか助けてください」と、私たちは神に叫び求めることができます。

神のご性質と神の御力(みちから)に対する私たちの見方を新しくしてくださるように、神に祈り求めていきましょう。

お祈りします

主よ あなたを信じます。どうか私の不信仰を助けてください。

主よ、どうか来てください。そして私たちを清めてください。

主よ、どうか来てください。そして私たちを癒してください。

主よ、どうか来てください。そして私たちを強めてください。

あなたを受け入れた私たちが、決して罪によってあなたから引き離されることなく、

永遠にあなたを愛し続けることができますように。

神と聖霊と共に、永遠に一つの神として生き、支配しておられるイエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン

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