ヨハネ21章1節~11節 「自分らしく主を愛してゆきましょう」

Pastor Kitazawa

(本日の音声メッセージはありません。)
➀ガリラヤ地方にある湖・・この湖について、聖書はいろいろな呼び方をしています。
 ある個所にはゲネサレ。ある個所にはテベリア(あるいはテイベリア)とあります。

・このように、この湖について、聖書はいろいろな呼び方をしているのですが・・実は、これらはみな、同じガリラヤ湖のことを指しているのです。

・時代によって、様々な事情があり、呼び方が変わっていったわけです。

・当初、この湖は「ゲネサレ」と呼ばれていました。

・ところが、このガリラヤ地方を納めていた、ヘロデ・アンテパスというこの地の首領は・・紀元22年、つまり、今から2002年前、ローマ皇帝のティベリウスを喜ばせるために、この湖の西側に、このローマ皇帝の名前をとった「テイベリア」という名前の街を造り出した
のでした。

・その時から人々は、この湖のことを「テイベリア」と呼ぶようになったのでした。

・どの時代にも、このヘロデ・アンテパスのように、時の権力者に気に入られるように・・権力者に認められるように・・そして、その権力者によって、自分の立場を強いものにしてゆこうとする・・そういう者がおります。ヘロデ・アンテパスとはそのような人物でした。

・この、実にこの世的な、肉的な、ヘロデ・アンテパスの生きざまを頭の隅に入れておきながら、ここを読んでゆきますと、きょうの聖書個所の神さまのメッセージがより分かりやすくなってゆくと思います。

➁さて、きょうの個所、のヨハネの福音書の21章ですが・・それまで、このヨハネの福音書は、エルサレム、あるいはエルサレム近郊で起こった出来事・・十字架の刑・・主イエスの復活の出来事をしばらくの間伝えてきたのですが・・

・21章に入りますと、その舞台はガラリと変わって、北部のガリラヤ地方での出来事を伝えています。

・そうです。弟子たちは、今、北部のガリラヤ地方に帰っていたのです。

・しかし、ガリラヤ地方出身者ではない、ナタナエルもトマスも同行しています。
 ですから、正確には「彼らはガリラヤに帰っていた」というよりも、「彼らは今、ガリラヤに集まっていた」と言った方が正確な言い方だと思います。

③この時、集まっていたのは、ペテロ、トマス、ナタナエル、ヤコブ、ヨハネ、そして、他に二人弟子(この二人の名前は明らかではありません) この合計7名でした。

・この7名の弟子たちが一同に会している、その時でした。
皆さんがよくご存じの弟子のペテロがこう切り出します。→ 「私は漁に行く」

・なぜ彼はいきなり「私は漁に行く」と言い出したのか・・このことについてはいままで様々な憶測がなされてきました。 その中には、ペテロの信仰の弱さを指摘するような意見もあるようです。

・「彼は伝道者としての使命を忘れ、漁師に戻ろうとしたのではないか・・」こんな意見です。

・しかし、そうでしょうか。  私はそうは思いません。

・この時、彼らは待っていいたのです。
主がお示しになる、「その主のとき」をです。

・「主のとき、主の備えたタイミングが来るまで、信じ期待しつつ待つことができる」 これは主にお仕えする者にとって、とても大切な基本的姿勢だと思います。

・しかし、一方で、彼らにも、現実の生活がありました。生身の人間として、生きてゆかなければなりませんでした・・。おそらくこの時も、彼らには十分な食料がなかったと推測できます。

・元漁師であったペテロはこのように思ったのではないでしょうか・・
 「そうだ。魚を捕ってこよう。 そして、みんなでそれを食べ、先ずは元気になろう!」
 「主のときが来たときに、それに応えることのできる元気がなければ・・」
 「そうだ、いますぐ、漁に行こう!」

・このペテロの「私は漁に行く」という言葉に対して、他の弟子たちもすぐに反応します。

・誰も、「ええ?・・魚とりですか? そんなことやっていていいんですか?」
 そんなことを言い出す者はいなかったのです。

・3節を見ると・・「他の弟子たちも、私たちも一緒に行く、そう言った。」と書かれてあります。

・それどころか、元漁師ではない、魚捕りの経験のないトマスも、ナタナエルも一緒について行ったのでした。

・この彼らの姿に、この時の彼らの一体感が感じ取れます。

・そうです。 神さまは・・その、ふとペテロが「私は漁に行く」と言い出した、その先に、死に勝利し復活された主イエス・キリストとのすばらしい再会の時を用意されていたのでした。

④早速彼らは湖に出て漁を始めます。

・しかし、この後、彼らは一晩中がんばって、一生懸命魚を捕ろうとしたのですが・・何と、その網には、一匹の魚もかからなかったのです。

・気が付くと、東の空がうっすらと明るくなってきました。

・この時、彼らは、岸から90メートルほどの所に居たのですが・・ふと見ると・・一人の人が岸辺に立っているのが見えました。

・4節にはこうあります。→ 「イエスは岸に立たれた。 けれども弟子たちにはイエスである ことがわからなかった。」

・確かに、薄明りの90メートルほど先に立っている人が、誰なのか・・ちょっとわかりにくいと思います。 90メートルそれは微妙な距離です。

・この時、岸に立っていたこの方がこう言われます。→「子どもたちよ、食べる魚がありませんね」

・すると・・船に乗っていた弟子たちは、小さなこどもたちのように、こう答えます。
→「ありません。」

・私はこの場面がとても好きです。

・200ペキス(約90メートル)先の岸辺から、主イエスは、「子どもたちよ。」と声を掛けます。

・すると、弟子たちは、もういい大人でしたが・・小さな子どもたちのように答えてゆきます。

・主イエスは、あるとき、このように祈られたことがありました。
 「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。
  あなたは、これらのことを、知恵のある者や、賢い者には隠して、幼子たちに表してくださいました。」 マタイ11:25です。

・また、主イエスは別の個所で、こうもおっしゃっております。
 「まことにあなたがたに言います。 こどものように、神の国を受け入れる者でなければけして、そこに入ることはできません。」 ルカ18:17です。

・ここには、「イエスさまと、私たちとの、理想の関係とは、どのような関係であるのか」そのことが教えられている、私はそう思うのです。

・「こどもたちよ。食べる魚がありませんね。・・ありません・・」このような、優しい父と、その父親が対好きな子どものような関係です。

⑤岸辺に立っておられる方は、この時、弟子たちに、実に意味深な言葉を投げかけます。

・6節 「舟の右側に、網を降ろしなさい。 そうすれば捕れます。」

・聖書を読んでゆきますと、誰もが気が付きます。
 聖書が「右」あるいは「右手」と言います時、そこにはある意味が込められている。

・例を挙げてみますと、例えば詩篇16:8「私はいつも私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことはない。」

・また、詩篇109篇31節にはこうあります。「主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。」

・つまり、聖書が右と言います時、それは神さまの側を表し、左とは人の側を表しているわけです。

・この時、弟子たちは一晩中・・漁師として豊富な経験、漁師としての誇り、漁師の感覚、やる気、気迫、そういう人の中にあるものを頼りに、一晩中、頑張っていたのでした。

・では、彼らは、舟の左側だけに固執して、意識して、ずっと左側だけに網を降ろしていたのでしょうか・・。そうではなかったと思います。 

・彼らは極自然に、無意識に・・気が付くと左側ばかりに網を降ろしていたのだと思います。

・つまり、彼らは、無意識に、人間的な経験や力を頼りにがんばっていた・・しかし、そこに実りはなかったのでした・・。

・しかし、彼らが、岸辺に立っておられる方の言われる通り、舟の右側に網を入れてみるとそこから、おびただしい数の魚が網に入ってきたのです。

・これは、「神さまの側にこそ実りがある」ということを主イエス・キリストが弟子たちの心に刻み込んだ・・そういう瞬間だったのでした。

⑥この時・・、船に乗っていた弟子の一人が、岸辺に立っておられる方が主イエスだと気が付き、思わずそれを声に出します。→ 「主です。」

・これを聞いた途端、ペテロは「おおい!みんな! あれはイエスさまだ。舟を陸につけるぞ!」
 と言えばいいものを・・何と何と、彼は、いきなりそばにあった服を着て、そのまま湖に飛び込んだのでした。

・裸でイエスさまの前に現れるのは失礼だと思ったのでしょうか・・それと同時に一刻でも早くイエスさまの所に行きたい、という思いが重なったのでしょうか・・。
・ところが、当時の服は麻袋のような物でしたので、それを着て水の中に飛び込んだら大変です。 彼は漁師でしたから泳ぎは達者であったでしょう。 しかし麻袋のような服を着ていてはなかなか前に進みません。

・おそらく、彼はこの時、泳いでいるのか、おぼれているのかわからないような状態になっていたに違いありません。

・では、このようにペテロが水の中で格闘しているとき、他の弟子たちはどうしていたか、と言いますと・・

・彼らは意外に冷静に、先ず舟の方向を変え、大量の魚を引き上げるために応援の小舟を呼び、そのおびただしい数の魚を陸に揚げるその一連の作業を完了することができたのでした。

・ペテロはどうなったのかと申しますと・・そうです。彼は水の中で格闘していたため、ずぶぬれで、フラフラになり、皆が既に炭火を囲んでいる、その輪の中に、やっとのことで加わることができたのでした。

・このペテロの姿を思い浮かべるとき、皆さんはどのような感想をお持ちになられるでしょうか・・。

・ある方は余りに滑稽で笑ってしまうかもしれません。そして、彼はもう少し思慮深く落ち着いた行動の方がよかったのではないか・・そんなことを思われるかもしれません。

・確かに、ずぶぬれになってようやく陸に上がってきたそのペテロの姿を想像しますと、誰もが心の中で思わず笑ってしまいます。

・しかし、どうでしょうか・・誰もが、同時に、彼のその姿に、ある感動を覚えるのではないでしょうか・・。

・私はこうこう思います。 「このペテロという人は、何と真実な人なのだろう・・」
 「この人には自分を取り繕ろうとする、そういう汚れた心がまったくない。」
 「この人は、本当に主イエスを愛し、主イエスを心から慕っている、ということがよくわかる。」

・「何より、彼は彼らしく、主を愛していったことがすばらしい!」

・そうです。私たちは、それぞれ、自分らしく主を愛してゆけばいいのです。

・そしてこう思います。「できれば、私も、この人のような信仰者になってゆきたい・・。」

⑦ところで・・私は先ほど、このガリラヤ地方の領主はヘロデ・アンテパスであった、という話をいたしました。

・この聖書個所を何回も読み返してゆきますと・・気が付かされることがあります。

・それは、主イエスに一刻でも早くお会いしたいと湖に飛び込んでいった弟子のペテロと、このヘロデ・アンテパスと人物の対照的な生き方です。両者のこのコントラストです。

・ヘロデ・アンテパス、彼はやり手でした。そして、残忍なことを平気で行う男でした。 
バプテスマのヨハネの殺害を命じ、そのヨハネの首をお盆にのせて、ヘロデヤの娘サロメに渡す・・そのようなことをする人物でした。

・彼は、常に、賢く立ち回り、当時この辺一帯を支配していたローマ帝国の皇帝ティベリウスを喜ばせるために、その皇帝の名前をとった街を作り上げるなどして、自分の地位をゆるぎないものにしていったのでした。 

・ところがです。ローマの皇帝が変わると、彼は、その新しい皇帝によって、失脚させられて、流刑の身となってしまうのでした。 

・このヘロデ・アンテパスの生き方と、丁度反対側の生きかたをしていった人たちがいました。
 そうです。それは、ペテロを代表とする、主イエスの弟子たちです。

・ヘロデのような人たちは・・人の力に頼り、人の力だけを信じて、周りの者を利用し・・しかし神さまの祝福からは大きく外れ・・結局、破滅へと進んで行ったのですが・・

・主イエスの弟子たちは・・失敗しながらも、一歩一歩、神さまに導かれて・・神さまの備えた実りある道を教えられつつ、次第に右側を選ぶ者へと、変えられていったのでした。

・勿論、彼らには、左側にだけ網を降ろす・・そういう弱さや愚かさがいっぱいありました。
 しかし、彼らは、あきらめず・・結局、救い主イエス・キリストを我が主と信じ、愛し・・その方から、隣人を自分と同じように愛しなさいを教えられ、その実りある道を突き進んで行ったのでした。

○私は、ペテロたちを本当に羨ましく思います。

・そして、「できれば・・この小さな自分も、彼らと同じ様に・・、しかし、彼らの様ではなく・・あくまでも自分らしく・・教えられつつ、導かれつつ、自分らしく失敗しつつも・・左側に行きっぱなしにならず・・ 結局は、主の備えてくださる道を進んで行く・・そういう者でありたい・・」 このように思うのです。

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