↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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①以前、愛知県の教会で牧師をしておりました時、私は月に一度、幼稚園の園児の前で聖書からのメッセージを語っておりました。
・あの日は確かクリスマス直前、アドベント中の礼拝だったと思います・・
100人程の園児を前に、私はこのように話し始めました。
・「みんな! サンタクロースさんは、どういう人の所に来てくれると思いますか?」
・すると子どもたちは、まるで合唱団の様に声を合わせてこう言うのでした。
→「良い子の所に来てくれま~す!」
・「困っている人の所にきてくれます」という子は一人もいませんでした。また、「優しい人の所に来てくれます」という子もいませんでした。
・先生たちに教えられたのでしょうか・・子どもたちはみんな、「サンタさんは、良い人の所に来てくれる」と思っている様でした。
・「随分と日本的な感じだなあ」と思いましたが・・ま、それはそれとしまして・・
・その子どもたちの返事を受け取った私は、間髪入れず、今度はその園児たちにこのように聞いてみたのでした。→「では、あのイエスさまは、どういう人の所に来てくれると思いますか?・・」
そうしましたら、一同、「シーン」となってしまったのでした。
・きょうの聖書個所は、「主イエス・キリストというお方が、どのような人の所に行き・・、どのような人と向き合ってゆかれたのか・・」そのことを改めて教えてくれる、そういう聖書個所だと思います。
➁では先ずは、早速、この聖書個所に記されているその出来事を短く振り返ってみたいと思います。
・この時、主イエスは、弟子たちと共に、舟でガリラヤ湖の向こう岸に向かいました。
しかし、ガリラヤ湖を舟で渡るというのは簡単な事ではなく危険も伴いました。
・この時の弟子たちは思ったと思います。 「そこまでして、向こう岸に行かなければならないその理由はいったい何なのだろうか・・」
・さて、舟が向こう岸に着きまと、ある人たちが主イエス一行に近づいてきたのです。
・そのある人たちとは・・何と墓場に住んでいた人たちでありました。
・そしてその中の一人が、いきなりこう叫んだのです。 →「いと高き神の子イエスさま。いったい何ををしようというのですか?」
・なぜ彼らが墓場で暮らしていたのかといいますと・・それは彼らが悪霊にとりつかれていたからでした。つまり、現代的な言い方をしますと・・彼らは重い精神的病にかかっていて、突然叫び出したり、思わぬ時に暴れたりものですから、周りの者たちは困って、この人たちを墓場に鎖でつないでおいたのでした。
・だからといって、それはこの村の人々の悪意からではなくむしろ彼らの安全を思っての事だったようです。
・それにしても、住所は墓場。・・墓場に住んでいるとは、何とも不憫(ふびん)な人たちです。
・そうです。彼らは人としての普段の生活から追い出されてしまっていた人たちでした。
人として、最底辺にいる者たち、最も小さな者たちと言ってもいいと思います。
・もうお分かりでしょう。主イエスが、危険を冒してガリラヤ湖の向こう岸までわざわざ行かれたその理由、それはこの人たちとの出会い、この人たちと向き合うこと、その為であったのです。
・これはいかにも私たちの主イエス・キリストらしい・・私はそう思います。
③この時主イエスは、この人に「あなたの名前は?」と聞きます。すると彼はこう答えます。
「私はレギオンだ」
・レギオンと言いますのは・・当時、人々に恐れられていたローマ軍の約600名の精鋭部隊のことでした。
・もしかしたら、この人はこの部隊の残虐行為を目の当たりにしたことがあって、その記憶が彼の心を支配していたのかもしれません。
・それにしても・・自分のことをそんな風に言っているというのは、つまり、彼は自分が一人の人間である、ということさえも認知できていない、そういう状態であったわけで、この人の病は非常に深刻だったことがわかります。
○ところで、この出来事は、マルコの福音書にも、マタイの福音書にも書かれているのですが、このルカの記事は、やはり、医者としてのルカならではの視点が感じられます。
・たとえば・・この出来事、実際は複数の人がこの墓に繋がれていたようですが、ここには、あたかも一人であったかのように記されています。つまり、ルカはここにいたその人一人に注目したのでした。
・それは、この人が、悪霊に取りつかれていたのにもかかわらず、自分がどう生きて行ったらよいのか、イエスさまに必死に問い続けて行った、その尊さを覚えたからに違いありません。
・そしてイエスさまも、その人の求めにまっすぐに答えてゆかれた・・その向き合った両者のその出来事をルカは後世に生きてゆく私たち一人一人に詳しく伝えたかったのだと思います。
・この時、主イエスは、理解不可能なことを口走るこの人の・・側に立っております。
そして文字通り親身になってこの人をその暗黒の世界から助け出そうとされたのでした。
・この人は・・「どうか自分が、底知れぬところに行かないようにしてくださいと叫び・・自分を支配しているこの悪霊が、自分から出て行って・・そして、そこにいる豚に乗り移ってゆくことをお許しください!」そんな常識外れの願いを主イエスにぶつけていったのでした。
・この時、主イエスは・・「君、それはいくら何でも・・」などとは言われませんでした。
「まあまあ、とにかく落ち着きましょう。そして、ゆっくり治療してゆきましょう」などともおっしゃいませんでした。
・何と、主イエスは、彼の叫びを、正にそのままに、正に真正面から受け止められたのでした。
・この時もしこの私が近くにいたとしましたら・・きっと変な事を言い出してしまったと思います。「イエスさま。彼の願いをまともに聞いてしまったらきっと大変なことになります。この地方に住んでいる人たちの生活がめちゃめちゃになってしまいますから・・やめといた方が・・」
・しかし主イエスは、そこに居る人が精神の病にある人であろうと・・身を売って生きている女性であろうと、関係なく・・まるで、世界でその人一人しかいないかのように・・只々、その人のために最善の御業をなさるのでした。 これが主イエス・キリストの愛の容(かたち)だったのです。
・そういうわけで・・「汚れた霊よ。この人から出て行け!」そう主は宣言され、この病の人の目の前で異様な豚の集団自殺が始まったのでした。
④私は子どもの頃一度、テレビでこのネズミの集団自殺の映像を見たことがありました。
それはそれは大きなショックを受けました。
・その映像は・・おびただしい数のネズミたちが砂ぼこりを立てながら、狂ったように、海に向かってなだれ込んでゆく・・そういう映像でした。
・その映像を見た私は、何とも妙な気持ちになりまして・・それから何日か、手に力が入らなくなってしまい、箸も鉛筆も持てない、そんな症状に陥ってしまったのでした。
・皆さんにはそういう心のショックを受けたという経験はないでしょうか・・。
・そうです。この時主イエスは、この、一人の人を暗黒の世界から助け出すために、この深刻な病にあったこの人に、最後の手段として強烈なショック療法に出たのでした。
⑤ではこの後、悪霊に犯されていた彼はどうなったのでしょうか・・
・すざましい豚の集団自殺を目の当たりにした彼は、そのショックで・・、あろうことか・・何と、我を取り戻すことができたのでした。
・彼はもちろんの事、彼の家族も、村中の人も、大喜びとなり・・村中の人が、主イエスに従う者となっていった・・と思いきや・・ 事態は予想外の方向に向かってしまうのでした。
・この出来事を知らされた村人たちは、大急ぎで集まってきて、そこで彼らは・・自分たちが飼っていた豚たちのおびただしい数の死骸・・そして正気に戻って座っていた男を見たのです。
・ここで村人たちは、イエスさまに向かって「イエスさま、よくぞ、この男を直してくれました。本当にありがとうございました!」と心からお礼を申し上げたのかと思いきや・・まったく、そのようにはならなかったのでした。
・彼らは、この男の人が正気に戻ることが出来たそのことの感謝よりも、もっと別のことを考えていたのでした。 それは、失った豚のことでした。
・この地方の人たちは、実は遊牧民ではありませんで、農業をして暮らしていました。
ですから彼らは趣味や道楽で豚を飼っていたのではありませんでした。
・死んでいった豚は、彼らにとっては生活を支える大事な大事な彼らの財産だったのです。
彼らにとって、あの豚たちは、生きる糧の、その基礎になるものだったのです。
・そして、村人たちは話し合った結果、主イエスにこう言うことにしたのです。
→「どうか自分たちのところから離れてください。」
・この彼らの判断・・ここに私たち人間の愛の限界というものを感じるのは、私だけではないと思います。
⑥さてこの出来事・・マタイはここまでの出来事を伝えてそれで終わっていますが・・一方ルカはこの正気に戻ったこの男の人がこの後どうなったのかについても伝えています。
・このゲラサ地方の住民は、主イエスをいわば排除し、この地方の人たちはもうイエスさまの伝える救い、その福音にはまったく無縁の人たちとなっていったのかといいますと・・実はそのようにはならなかったのでした。
・主イエスは、確かにここから去ってゆかれました。しかし、主は、この地方に実に強力な伝道者を残されたのでした・・
・それは他でもありません。この苦しい苦しい病を主イエスに癒されたこの男その人でした。
・主イエスは、この地方の人たちに排除されたのでしたが・・イエスさまはこの地方の人たちをお見捨てはならなかったのです。
・そうです、主イエス・キリストこの方は、誤解され排除されたとしても、けしてその人たちを見捨てることはない、そのようなお方なのです。
・私はこの聖書個所を読みます時、その度ごとに心揺さぶられます。
・弟子たちのいのちを脅かし・・このゲラサ地方の人たちの財産も、おしげもなく用いて・・まるで、世界にこの人ひとりしかいないかのように・・この人の悲しみ、この人の叫びに答えてゆかれた、この愛・・何と深く広く真実なことか・・
○今、世界の人口は、約72億3866万人なのだそうです。
・ではきょう、神さまが、皆さんの事を見つめているその確率は・・72億3866万分の一なのでしょうか・・・
・きょうの聖書箇所で、神さまの眼差しはそういう眼差しではないということがわかります。
・そうです。神さまは・・皆さんお一人一人を・・まるで、世界に一人しかいないかのように見つめておられるのです・・。皆さんお一人お一人のことを、まるで世界に一人しかいないかのように愛しておられるのです・・。
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