使徒の働き27:22-26「この人は本当の事を語っている」

Pastor Kitazawa

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➀先月は、殺されることを覚悟しながらもエルサレムに帰って行ったパウロの、そのお別れの
説教の所をご一緒に観てまいりました。

・では、そのパウロは、エルサレムに戻った後、どうなったのでしょうか・・

・案の定、ユダヤの人々は裏切り者のパウロを抹殺しようと待ち構えておりました・・がしかし、この時代のユダヤはローマ帝国の支配下にあったため、彼らが勝手にパウロを処刑するという乱暴なことはできなかったのです。

・そこで彼らは、暗殺を企てたのですが・・これもうまくいきませんでした。
 そうです。神さまがこの使徒パウロを守られたのでした。

・しかしユダヤの民衆の怒りは収まりません。パウロは訴えられ、逮捕され、裁判となり、民衆はその数のプレッシャーで当局に圧力を掛け続けたのでした。
 
・この時代・・ユダヤ地方の領主はヘロデ大王のひ孫にあたる「ヘロデ・アグリッパ」でした。
しかし彼は領主とはいえ、実際の最高権力者はローマからエルサレムに派遣されていた総督の「ペリクス」でした。

・この二人の権力者の振る舞いを見てゆきますと、あの主イエス・キリストの十字架裁判の時とほぼ同じ態度に終始したのでした。

・彼等は「兎に角、騒ぎが大きくなって、ローマにまで聞こえるようなことにならないように・・」また「この騒ぎが自分の責任ということにならないように・・」このような思惑に終始したのです。

・そしてついには、総督ペリクスの命令で、パウロは二年間牢獄に放置されてしまうのでした。

・二年後、フェストという人物が新しい総督として着任し、パウロの裁判は再開するのですが、しかし事が進むはずもありません。

・ローマ市民権を持っていたパウロは、この裁判の中で「私はローマ皇帝に上訴します。」と発言、これにより結局パウロはローマに護送されることになったのでした。

・このローマへの船の旅は、パウロと、ルカなどの側近たち、そして他の囚人、ローマの兵士たちなどで、総勢276人という大所帯となったのですが・・その旅は困難を極めたのでした。

・ベンハーという有名な映画をご覧になった方も多いと思いますが・・やはりこの時のこの船もまたあの映画の様に、大嵐に遭遇し、その激しい嵐はなかなか収まらなかったのです。

➁三日目にはついに、船に乗せていた物を全部海に捨てるという最終手段を決行するに至り・・彼らはパニック状態に陥ったのでした。

・しかしそのすざましい様子を冷静に記録し、その時のパウロの様子を後世に伝えた者がおりました。それは言うまでもありません。この船にも同乗していた主イエスの弟子ルカでした。

・私は、24章から記されている、二度の裁判、そして、舟によるローマへの護送の旅の様子を今回、ゆっくりと時間をかけ読み直してみましたときに・・改めて、使徒パウロの、その誠実さ、真実さに大きな感銘を受けたのでした。

・そして、心の底からこう思いました。→ 「ああこの人は、本当に、本当のことを語っている!」

・きょうは、私の受けたその感銘を、愛するIBFの皆さんの心にも是非お届けしたい・・そう思っているところです。

③パウロが本当のことを語っている、と確信させられるその第一の理由ですが・・この時、彼は、当時の権力者たちの前に犯罪人として引き出されたのですが・・その裁判でのパウロが語ったその言葉、その姿勢、その態度に、私は真実の人を感じ取ったからでした。

・当時、横暴な権力者たちの前に立たされた罪人たちは、へたをすると即刻首をはねられる、そういう弱い弱い立場にありました。

・ですから、このような場に立たされた場合、普通は、当然ながら誰もが、先ず自己保身を第一に考え・・当然ながら、権力者のご機嫌をそこならないようにと考え・・できるだけ、その権力者の受け入れがたいことは避け・・とにかく、その権力者の気分を害さないことを最優先にする・・これが常であったでしょう。

・もし権力者の逆鱗(げきりん)に触れて、殺されてしまえば、それで終わりだからです。

・しかし使徒パウロはまったく違っていたのです。 彼は確かに礼儀正しく、言葉使いも丁寧でした。しかし彼は一切媚びるということはなかったのです。

・確かに彼は、言葉使いに、失礼のないように語り出しました。
しかし、ここでパウロは・・もし、私が彼の弁護士でしたら直ぐに止めに入るようなこともこの権力者たちに正面からはっきりと語ったのでした。

・24章14節15節の所で、パウロは、何と、ローマから派遣されてきた総督ペリクスに、自分の信じ知っている、死者の復活につい語り始めるのでした・・

・私が彼の弁護士でしたら慌てると思います。そしてパウロ先生の所に行って、耳元でこう言うと思います。「先生、だめですよ。彼らに復活の話をしても、分かりっこありませんから・・。」
・「彼らは、偉ぶっていますが、実はそんなに頭のいい連中ではありません。ですから、彼らが怒り出すようなことは言わない方がいいと思います・・」 。

・しかし、使徒パウロは、この実質的最高権力者の総督ペリクスにも、領主のヘロデ・アグリッパにも、まったくこびることなどせずに、主イエス・キリストのお与えになられる復活のいのちについて、何の誇張も、装飾も省略もせずに、文字通りまっ直ぐに語っていったのでした。

・26章の8節では、アグリッパ王にこう言っています。 → 「神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのですか」

・私は思います。 この強さこそ、主イエス・キリストの光に実施に倒され、「なぜわたしを迫害するのか」という声をその耳で聞き・・回心に導かれ、その方の罪の赦しと真(まこと)のいのちを見つめながら・・そのことの宣教に命をかけて生きてきた、そういう人間だけの強さに違いない。

④「この人は本当の事を語っている・・」私が、ますますそう確信させられた、その第二の理由はローマに船で護送されてゆく、その辛く厳しい旅の、その中での彼の姿からです。

・先ほども申しましたが・・パウロは裁判中に「私はローマの皇帝に上訴します。」と言い出します。

・誰もが、それは彼が「ローマ市民権を持っていたからではないか・・」そう思いますが・・実は、パウロがこう言い出したのは、そのことが一番の理由はありませんでした。

・彼は、自分がローマに行き、そこで主イエス・キリストの復活と、人々の救いについて証しするように、と神さまからはっきりと伝えられていたからでした。

・このように、「只々御心に導かれて前進する・・」これも使徒パウロの生き方でした。

・しかしその旅にはとてつもない困難が待っていたのです。大嵐がこの船を襲ったのでした。 
そして、その激しい嵐はなかなか止みません。

・仕方なく、乗組員は舟を軽くし沈没を防ぐために、船内にあった荷物を捨て始めます。
しかしそれでも嵐はますます激しくなるばかりでしたので、彼らは遂に、舟の航行になくてはならない船具まで捨てて舟を軽くしようとしたのでした。 しかしそれでも嵐は止みません。

・そして、彼らは、ローマの兵士も囚人もなく、皆恐怖と疲労により絶望していったのでした。

・その時です。 使徒パウロは、大揺れになっているその中で皆の前に凛として立ち、まるで、神さまから直接連絡があったかのようにこのように語るのでした。

・:22―:26もう一度読んでみます。 → 朗読

・そして、命綱である職量に手を付けず、14日間食事をしていなかった彼らにパウロはこう言うのでした。 「私はあなたがたに食事をとることを勧めます。」 そして、彼はパンを取り、一同の前で感謝の祈りをし・・それを裂いて食べ始めたのでした。

・「これって聖餐式ではないか・・こんな時に・・」そう思う方もおられるでしょう・・。
 そうです。この様な時にも彼はまったく冷静さを失わず・・彼の心の中は平安そのものだったのです。

・そしてこの後、この船は彼の言う通りになっていったのでした。

・確かに船はこの後浅瀬に座礁し壊れてしまうのですが・・乘っていた者たちは、舟が浅瀬に座礁したことで全員陸に上がることができたのでした。

・すべての人が絶望せざるを得ない時・・パウロは、その同じ世界に居ながら・・神さまからの御言葉をもって人々を励まし、生きる力を与えて行ったのです。

・このパウロの底知れぬ強さを思います時に、私は、神さまから賜ったまことのいのちの約束を確信している者だけの強さがここにある・・・そう深く感動させられたのでした。 

⑤使徒パウロに感銘を受けたことで、どうしても、もう一つだけ付け加えなければならないことがあります。 

・苦境に立っている人たちを力づけていったという話は沢山聞いたことがありますが・・。
しかし、その励ましている人は、その苦境の中に自分自身がいるわけではなく・・自分は、その苦難の外に居て、「がんばれ!元気を出せ!」と言っている、そういう場合よくあります。

・しかしこの時のパウロは違っていました。 彼自身、その大揺れの船の中に居たのです。
彼自身が、大波に飲み込まれて海のモズクとなってしまう危機だったのです。

・ところで私たちは今、2025年というこの現代に生きている者たちですが・・この現代はどのような時代に向かっているのでしょうか・・私は、嵐の予感がしています。

・国際政治の専門家たちの多くも。今、トランプ時代となって、世界は嵐に向かっていると感じているようですが・・丁度100年程前、地球上ではあのヒットラー時代が始まっていました。
100年前のあの時代も世界は嵐に向かっていました。

・その時代、100年ほど前、イギリスのロンドンのドイツ教会ではボンフェッファーが牧師をしておりました。しかし彼は、何と最悪の状態にあった母国ドイツへ戻ろうと決心したのです。
・勿論、友人たちは「今行けば殺されてしまう」と止めたのですけれども、彼は主の御前に決意をし、母国ドイツに戻るのでした。

・そしてボンフェッファーは、母国の人たちが一人でも多く、神さまの御心に生きるように、と励ましていったのですが・・当局は、ヒットラー暗殺計画に加担したという理由で、このボンフェッファーを逮捕します。 そして・・ベルリン陥落寸前に、彼は処刑され、殉教の死を遂げるのでした。

・彼は、闇に突き進んでゆく母国の、その真っただ中に自らを置いて、・・人々を励まし続け、神さまを愛し続け、その尊い命をささげることになったのでした。この考え方、この生き様が、ボンフェッファーのすごい所です。

・そうです。パウロの励ましもそうでした。彼自身、その最悪の状態に置かれた隣人と同じその船に乗っていながら、絶望している人々に「絶望していないで、元気を出しなさい」と呼びかけ続けたのでした。

・私は思います。・・「ああ、ここに真実な人がいる・・この人は本当の希望を知っていて・・神さまの本当のいのちを人々に語って行った・・この人はそういう人であったのだ・・」

○嵐の予感を感じる、そういう時代に私たちは生きてゆく一人一人です。

・そういう厳しい時代であればあるほど、パウロのような真実な者が神さまのお働きに用いられてゆく時代ではないでしょうか・・

・愛する皆さんに、神さまは他でもない、皆さん一人一人に、期待しておられるということを覚えていただきたいと思います。

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