「平和、希望、喜び、愛、キリストが与えてくださるもの」イザヤ書9章6節

Pastor Ino

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今日12月17日は、キリストの誕生を待ち望むアドベントの第3週となります。第1週で平和、第2週で希望、第3週で喜びをテーマにして、キリストの誕生を待ち望んでいます。第1週で取り上げた平和ですが、イザヤ書9章6節には、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる。」と書かれています。私たちの救い主であるキリストは、平和の君と呼ばれる方です。自らが平和を作り、私たちをも平和を作る者へと変えてくださっています。

世界各地に争いが起こっているこのような現状の中で、もう一度キリストこそ平和の君であり、この地上に平和をもたらしてくださる神であることを覚えていきたいです。最近私は、ハバクク書を取り上げて学んできました。前回は神が地上に戻ってこられ、バビロンを裁かれる、その厳しい裁きの現実に目を留めました。もう一度戻って来られるキリストは、この地上に完全な平和をもたらすことができる方です。バビロンは滅びました。神に敵対する悪の勢力が滅ぶ、その時がいつか来ます。しかし、その日まで、私たちはキリストに平和をもたらしてくださいと祈る者でありたいです。

キリストが与えて下さる平和、また平安は、世が与えるものと違っています。キリストは私たちの罪を背負い、十字架につき、罪の贖いを成してくださった方です。イザヤ書53章5節には、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼の懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」と書かれています。キリストの尊い十字架の犠牲の上に、私たちは罪の赦しが与えられ、神との平和を持っています。それだけではありません。私たちは和解の務めをゆだねられているのです。コロサイ1章20節の前半には、「(御子は、)その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。」とあります。神との和解をいただいた私たちは、この和解の務めをゆだねられて生きるのです。イエスは、マタイ5章9節で、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」と多くの群衆に語っています。私たちはキリストの助けによって平和をつくり、またこの社会で和解の務めを委ねられ、そして人間関係の中に平和をもたらす、そのような人生を生きるのです。

次に、私たちは希望を抱いてアドベントを待ち望んでいます。希望、それは本当に美しい言葉です。希望がなければ人生は虚しいです。最近ある方の葬儀を行いました。彼女は医療関係に従事した女性ですが、若くして37歳で人生を閉じました。私はその葬儀の中で、彼女の信仰を分かち合い、この信仰のゆえに彼女は今天国に召されていると語ることができました。実は、それは聖書の約束だからです。イエスは十字架に着く前に、弟子たちに、「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」(ヨハネ14:2)。場所を備えたら、もう一度戻ってくる、と弟子たちに語っておられます。天国にひとりひとりの場所を用意してくださる。それはキリストの約束です。私たちはいつの日か、栄光の体に変えられて、キリストと共に天国で永遠に生きる。これこそクリスチャンの希望であると思います。天国の約束、そのことを可能にすることができる方、その方こそイエス・キリストです。ですから私たちは、このアドベントの時期、希望を持ってキリストの誕生を待ち望むのです。

かつて旧約の民は、律法を守り、罪の贖いのために動物を犠牲にし、祈りを捧げ、その信仰を持って、キリストの贖いを垣間見たのです。しかし、彼らが見たものはキリストの影でしかありません。ヘブル書7章19節に、さらにすぐれた希望とあります。律法にはできなかった新たな道をキリストは与えてくださったのです。キリストは、私たちの罪を完全に取り除くことができる方で、私たちに神に近づく道を開いてくださったのです。キリストこそ、私たちの希望、そのことを覚えていきましょう。第一ペテロ2章6節には、「彼に信頼するものは、決して失望させられることがない。」と書かれています。

アドベントの第3週には、喜びとの言葉を選びました。喜び、私たちクリスチャンは、キリストにあって喜びを味わっています。ちょうど、天の御国を見つけた者のたとえのようです。マタイ13章44節には、「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」とあります。イエスを信じる者は、大きな喜びを見出します。天国の約束が与えられる、これは大きな喜びです。そうです、私たちはキリストによって天国の約束が与えられています。その喜びを味わい、待ち望む者でありたいです。

加えて、キリストの誕生は喜びの出来事です。ルカ2章10節、11節には、「御使いは彼らに言った。恐れる事はありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とあります。素晴らしい喜び、これこそキリストの誕生です。

ピリピ4章4-7節には、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と書かれています。私はかつて、アメリカに留学をする経験が与えられましたが、そのためにたくさんの準備と祈りをしたことを覚えています。留学がまじかに迫ると不安や心配がいつも目の前にありました。しかし、「何も思い思い煩わないで、あらゆる場合に感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を知っていただきなさい。」と書かれている、この聖書の箇所に出会って、私の不安や心配が解放されたことを覚えています。19節には、「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」と書かれています。私たちの祈りを通して、神は私たちに答えてくださいます。栄光の富を持ってあなた方の必要をすべて満たしてくださる、これは神の約束です。ですから思い煩いの人生ではなくて、喜びの人生を私たちは生きるのです。キリストこそ私たちの喜び、私たちに喜びを与えてくださる方、そのことを覚えていきたいです。

来週の第4週、クリスマス礼拝の日ですが、その日のテーマに、愛と言う言葉を選びました。キリストは本当に私たちを愛してくださっています。それもアガペーの愛で、私たちを愛してくださっています。ちょうど最後の晩餐の時に、キリストはその愛を残るところなく示されたとありますが(ヨハネ13:1)、自分を裏切るであろう弟子たち、ユダやペテロの足をもキリストは洗ってくださったのです。彼らにアガペーの愛を伝えてくださいました。実は弟子たちだけではありません。私たちも大きな失敗をしたり、神から離れてしまったり、心を閉ざしてしまうことがあります。それが私たちの人生です。しかし、神の愛はアガペーの愛です。無条件の愛です。一方的な愛です。たとえ私たちが神を愛することをやめてしまったとしても、神の愛はとどまることがありません。それが神のあなたへの愛です。第一ヨハネ4章8節の中に、「なぜなら神は愛だからです。」とあります。さらに4章11節には、「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」とあります。キリストの愛をいただき、キリストの愛に教えられ、私たちは互いに愛し合う、そのような人生をスタートするのです。私たちの人生を変えるもの、それはキリストの愛であると言えるでしょう。このアドベントの第4週の時、私たちにキリストの愛が注がれている、そのことを覚えて感謝をしたいと思います。

もう一度、このクリスマスの時期、キリストこそ、平和、希望、喜び、愛を私たちに与えてくださる。そのことを覚えて感謝をささげてまいりましょう。

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