↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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新しい国が起こり、ダリヨス王が全国に120人の太守を任命して国を治めさせるのが良いと思ったと、6章1節に書かれています。大きな領土です。120の州が生まれたと理解できます。そしてそれらの太守を3人の大臣が監督し、報告を受け、アドバイスをし、王に損害が及ばないようにとの体制が作られていきます。ダニエルを含むその3人の大臣の中からダリヨス王はダニエルをトップに立てようと考えたのです。しかし、残りの2人の大臣、そしてこの2人に従う者たちが、何とかダニエルを失脚させようと考えたのです。4節には、「大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。」とあります。そして5節には、「そこでこの人たちは言った。『私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。』」とあります。ダニエルを訴えようとした彼らは、他に訴える理由が見つからないので、ダニエルが誠の神を信じている、そのことを問題にしようと考えたのです。そして王に語りかけます。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。」7節に、「国々の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が1つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から30日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれる。」とあります。どの国でも、独裁者の政権では、その独裁者を神のようにあがめようと一部の指導者たちは考えるのです。そして独裁者と親しい関係を築こうとします。悲しいことに、この日本でも、天皇を神とし、アジア諸国に天皇の支配を広げようとした、そのような政治家が起こりました。そして、前の戦争では天皇に対する忠誠心をアジアの国々に求めると言う、今考えれば、愚かな政策を取りました。日本にもそんな指導者や大臣がいたのです。この6章の中で、ダニエルを訴えて、ダニエルを排除しようとした2人の大臣は狡猾な策略を練ったのです。そして8、9節では、「王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシャの法律のようにしてください。そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。」とあります。王も深く物事を考えなかったようです。自分が神のように崇められ、そしてそのことを通して国の支配を強めようと思ったのでしょう。実はこのような支配体制は、ローマの皇帝も繰り返し取り入れています。そのような中で誠の神を信じるクリスチャンに対する迫害が起こってきたのです。戦争中の日本でも信仰者に対する迫害が起こりましたが、ローマの支配下ではクリスチャンに対する迫害が 300年近く続いたのです。それでは、ダニエルはどう対応したのでしょう。
10節には、「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。彼の屋上の部屋の窓は、エルサレムに向かってあいていた。彼は、いつものように、日に3度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」とあります。私は、何をダニエルは祈っていたのかなと推測します。聖なる国民として祭司の王国の一人として神に仕えたい。この神を礼拝し、天国の希望を持って人生を歩んでいきたいなど、いろいろな内容が思い浮かびます。彼は日々神の前に出て、神の律法の教えに恥ずかしくないように、神が与えてくれた自分の賜物を精一杯生かして生きれるようにと願ったのではと思います。神に栄光をお返しできるように、また上に立つ王が、この社会に正義をもたらすことができ、貧しく恵まれない人たちにも、必要な助けが与えられるようにと、そのような祈りを捧げていたのではと私は想像します。皆さん、祈り、感謝していたとあるのですから、生かされている恵みを覚えて本当にダニエルは神に感謝をしていたのです。訴える者たちは、そのような内面の信仰を問題とするのです。
さぁ、ダニエルは訴える者たちによって王の前に連れて行かれます。そしてダニエルに対する訴えがなされるのです。訴える者たちは王につめよります。12節ですが、「そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について行った。『王よ。今から30日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。』王は答えて言った。『取り消しのできないメディアとペルシャの法律のように、その事は確かである。』とあります。そして、ダニエルはあなたの命令に背いていますよと迫るのです。王は自分の過ちに気づきますが、取り返しができません。16-18節には、「そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて行った。『あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。』1つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠気も催さなかった。」とあります。このことは王の心を深く痛めたようです。あの誠実なダニエルをダニエルが信じている神がお救いになるように、そのような願いが王の心に起こったのです。翌朝早く、王は獅子の穴に急ぎます。20-22節には、「その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。『生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。』すると、ダニエルは王に答えた。『王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。』」とあります。もちろん意図的にダニエルは王をおとしめようとして王の命令にそむいたのではありません。彼の信仰は、創造主なる神に向かっての信仰です。そして聖なる国民、祭司の王国の一員として王のために祈り、王に仕える。そのような使命をダニエルは持っていたのだと思います。驚くべき奇跡が起こったことを聖書は伝えています。神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったのです。私たちはすごい奇跡だなと感動しますが、それでこのメッセージは終わりません。ダリヨス王がこのことを通して悟ったこと、国民に向かって語りかけたこと、その内容こそがこの6章の中心だからです。そこに目を向けてみます。
25、26節には、「その時、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。『あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。』」とあります。生ける神の支配、その王国が存在することに、この王は気づくのです。そして27節では、「この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」とあります。この方は人を救って解放し、という言葉を、この方は救い主と表現している聖書訳もあります。救い主イエスの王国が存在することを指し示すみ言葉であると思います。主イエスはいつでも人を救い、困難から私たちを解放し、天国の祝福に私たちを招いてくださる方です。
しかし皆さん、天の御国には試練と困難が伴います。良いことばっかり起こればよいのですが、良いことだけを強調する教えは正しい信仰者の理解ではありません。それでは信仰者の成長が見られないではありませんか。黙示録の1章9節には、「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしのゆえにパトモスという島にいた。」とあります。皆さん、イエスにある苦難と御国と忍耐に預かる、とても重要な表現です。御国は素晴らしい場所に違いがありませんが、しかし、苦難と忍耐を通して、私たちは御国に招かれていく、そのような視点をこの箇所は教えます。ローマ書3章 24節に、「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。」とあります。キリストの尊い犠牲の上に救いが与えられています。このことは真実です。そして、恵の中に私たちは生きる者です。ローマ書5章1-4節を読んでみます。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」とあります。さぁ皆さん、患難、そして忍耐が必要です。それらを耐え忍ぶ時に、私たちの信仰者としての歩みに品性が加えられ、そして希望が与えられていくのです。その現実を受け止めていきたいです。ダニエルも、多くの試練を通して品性や希望が与えられた信仰者の一人です。素晴らしい人格者であったと思います。ダニエル書は、単なる成功の物語ではありません。謙遜さという天の御国の特質を私たちに教え、その御国に入るために、私たちは困難や試練を通ることを教えるのです。さぁ、皆さん恐れないで、主イエスと共に精一杯生きて参りましょう。試練を通して神は、私たちを育てようとされる。イエスこそ人を救って解放される方。そう信じて与えられている人生にチャレンジしていこうではありませんか。
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