洗礼の証2018_A.K.


私がIBFに行き始めたのは5年前の3月だったと思います。私が大学に上がる前の高校3年生の春休みです。その日はAちゃんの洗礼式で、私の母親とAさんのお父さんが小学校からの同級生だったので誘われて行ったのでした。

少し私のそれまでの経歴についてお話しします。私はそれまで無教会の母親が行ってた集会に行っていました。でもメッセージも難しく若い人も少ないのでクリスマスとかイースターに行くくらいでした。中高がキリスト教だったので、神様の存在は知っていたし、学んできたつもりでした。中高のときは毎朝の礼拝があったので日曜はゆっくりしたいという気持ちがあり、あまり行けてなかったのですが、大学では毎朝の礼拝がなくなるので、教会に行ってみようかなと思い、IBFに行きました。

そこからジャーニーに参加するようになりました。同世代の人とIBFで話すことがとても楽しかったです。最初は毎月のジャーニーだけ参加していました。大学も忙しいし日曜はバイトしたり、遊びの予定を入れたりしていました。そのころは教会に聖書を学びたいという気持ちよりは友達と話すのが楽しいからという感覚だったと思います。

大学1年生の10月ごろ、Mさんに、KGK(キリスト者学生会)という大学生のクリスチャンの集まりに行かないかと誘われました。そのころからKGKに行き始め、日曜以外にも聖書のメッセージを聞く機会が増えました。KGKの集まりには参加するけど教会に行くのは月1という謎の期間が大学3年生くらいまでつづいたと思います。

私がIBFに毎週くるようになったのは、大学4年生くらいだったと思います。今から1年半前くらいの話しです。そのころは使徒の働きのメッセージでした。そのメッセージを聞くのがたのしくて、すごく心が満たされる気分でした。そのころ、大学4年生のときは、大学院進学のための受験勉強をしていたり、教育実習があったりと、忙しい時期でした。それまでの私は、今思うと誰かと遊ぶことで寂しさを埋めてたんだなと思います。でも大学4年生のときに受験勉強を毎日する中で、どこかに出かけるというのが日曜しかなくなりました。日曜にIBFにいく、メッセージをきく、ことか毎週の楽しみになり、心が癒されて、一週間頑張ろうという気持ちになれることに気づいたのです。
使徒の働きの1章8節でイエスが弟子たちの前から天に引き上げられるとき、こう言いました。「しかし、あなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」私の証人となる、という言葉はすごく心に残りました。私はクリスチャンとして福音にいきることでイエスキリストの証人なんだと思うことができます。そのはっきりした言葉が聖書には書かれているのです。この箇所をみて、私もイエスの証人として生きていきたい。と思うことができました。

4/1のイースター礼拝のときにMさんとご飯に行って、受洗について話し、受洗を決意しました。それまで、受洗することをすごく悩んでいたので、この機会が与えられて神様の導きがあったんだなと思いました。とっくに神様を信じた気ではいましたが、洗礼を受けることについて、聖書でこうかかれています。使徒の働き2章38節「そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」バプテスマを受けることによって、神様が聖霊を与えてくださり、私のことを内側から変えてくれるのです。受洗する前は受洗しなくても神様を信じてるからいいかなと思っていました。しかし、洗礼を受けるということは私のこれからの信仰生活に欠かせないものであると今、思います。聖霊を与えてくださり、証人として生きていくことができるように導いてくださる神様がいるので安心して信仰の道を歩んで生きたいと思います。

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