マタイの福音書 26章26節~32節 「あなたがたより先に」

Pastor Kitazawa

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 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。」
 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」
 そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山にでかけた。
 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜つまずきます。
 『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。
 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」

①きょうの聖書箇所は、教会の聖餐式のときに、よく読まれるところです。
一般には、最後の晩餐と言われている、その場面です。

・ここで主イエスは、パンを取り、そして、「食べなさい、これは、わたしの体です。」このように言われたあと、ぶどう酒を取り、「わたしの契約の血です」そう言われて、そのぶどう酒を弟子たちに与えます。    

・主イエス・キリスト直々(じきじき)の聖餐式です。
それはどんなに素晴らしい瞬間であったことでしょう。

・このあと、彼らは、讃美をしながら、オリーブ山に出掛けます。

・この時の、弟子たちの心の中を想像してみますと、それはそれは、晴れ晴れとした心持であったと思います。
 未来への希望と、その喜びでいっぱいであったと思います。
ですから、オリーブ山に向かう、彼らのその足取りは、実に軽かったに違いありません。

・ところがです。 その喜びいっぱいの弟子たちは、ここで、主イエス・キリストから、思いもかけない言葉を聞かされるのでした。

・31節「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。

・この時の弟子たちは、一緒におられる方が、救い主、つまり、キリストである。ということが、本当によくわかってきた、その矢先でした。 そして、その方と、今一緒にいるという、その喜びが一人一人の心を包んでいた、そういう時でありました・・

・このときの彼らのショックはどれほどだったでしょうか。 
・そうです。彼らは一瞬にして、心の中が真っ暗になってしまったのでした。

・ところが、弟子のペテロは、自らを奮い立たせながら、このように言います。
33節「たとえ、皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」 

・しかし、主イエスは、こう言い出したペテロに、きっぱりとこのように言われるのでした。
34節「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」

・これを聞いたペテロは、尚、このように返します。 35節「たとえ、あなたと一緒に
死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」

・このときここにいた他の弟子たちも、皆が、ペテロと同じ気持ちだったようです。
 
・では・・、実際は、この後、この弟子たちはどうなっていったのでしょうか・・
<間> それは・・もう、みなさんはよくご存じです。

・彼らは、正に、主イエス・キリストがここで言われた通りとなっていったのです。

・この時のこの気持ちはどこへやら・・彼らは、時の権力者たちを恐れて、一人残らず逃げ出してしまう・・
そういう結末となってしまったのでした。

・ペテロも例外ではありませんでした。 いや、ペテロは、他の弟子たち以上にみじめでした。
彼は、単に逃げ出しただけではありませんで・・人々の前で、主イエスをはっきり裏切ってしまうという、そんな経験までしてしまうことになったのでした。

②私たちは、この、十字架直前の弟子たちの様子を読みます時に、誰もが、「ああ、彼らはなんと弱い人間であったのか・・」そういう感想を持つのですが・・

・しかし・・他でもない、私たち一人一人はどうなのでありましょうか・・

・もし、私たちが、彼らと同じような場面に立たされたとしたら・・私たちは、この弟子たちのようではなく、もっと強固な、けしてゆるぐことのない・・そういう信仰の強さを人々に証してゆく・・そういう一人一人なのでありましょうか・・

・いや、皆さんのことではなく・・他でもない、この私自身はどうなのか・・そのことを考えさせられます。

・勿論、この私も、「自分の信仰は、この弟子のように弱くはない、と言いたい。」そう思いたい。
この点では、みなさんもまた同じ気持ちであると思います。

・では、はたして、私たちの、その信仰の実像は、どうなのか、です・・

・ある方は・・
「このときの弟子たちは、まだ聖霊がくだったわけではない。だから仕方がなかったのではないか。
  聖霊さまが内側に住んでおられることが大事なのだ。聖霊がおくだりになれば、そうすれば、誰でも大丈夫。つまずくことなどけしてなかったのではないか。」そうおっしゃるかもしれません。

・神学的に、そういう主張は間違っているとは言えません。

・しかし私は思います。やはり、聖書はここで、私たちが、先ず、現実の己を見つめ、己のその弱さを、心から認めるということの大切さを教えていると思うのです。

そして、もし私たちが、彼らと同じ場面に立たされたとしたら、やはり、私たちもまた、このときの弟子たちと同じようになってゆくのではないだろうか・・ということを問いかけているのだと思うのです。

・聖書の、この弟子たちの姿を伝えるこの記事は・・私たち一人一人に、こう呼びかけている、そう思うのです。
「あなたも、また、彼らと同じ弱い者の一人ではないだろうか・・。」

③そういうわけで、この聖書箇所は、何か、私たちの現実を突きつけられている感じがして・・
ある方にとっては、少々重苦しい感じを受ける聖書箇所かもしれません。                                   

・しかし・・この主イエス・キリストの語っておられる御言葉を、もう一歩注意深く読んでゆきますと・・
ここには、その重い気持ちを一掃してしまう、大事な大事な、励ましの御言葉が語られているということに気が付かされます。

・それは、32節のところです。 主イエスは、ここで・・「しかし」と言われました。
 私は、この「しかし」という接続詞が、ここに入っていることに激しく感動するのです。

・「しかし」ということばを改めて辞書で調べてみますと・・言葉の専門家はこう説明しています。
しかし、というのは、 「そうではあるが、という意味が込められた接続詞」

・つまり、ここにある「しかし」の意味は・・実はたいした信仰ではない。実はたいした信仰者ではない。
 その人は、あるのか、ないのかわからないほど小さい、まるでからし種のような小さな信仰しか持ちあわせていない・・「そうではあるが・・」という意味です。

・「そうではあるが・・わたしは、よみがえってから、そのあなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
つまり、「わたしは、その、愛するあなたがたを、ガリラヤでまっています。」そうおっしゃっておられるわけです。

・この主イエス・キリストの約束のおことばの冒頭に、この「しかし」という言葉があることによって、私は、何のためらいもなく、みなさんにこう語ることができます。

・ここで聖書は、「主イエス・キリストは、『私はそんな揺るがない確信に満ちた信仰者ではない。最後の最後には、結局つまずいてしまう・・そんな小さな信仰しか、私にはない。』そう思っておられるあなたに、

・また、『私の私生活は・・隣人を自分と同じように愛しなさい。というみことばとは、大きく矛盾している。それが私の実態なのです。』そういう悲しみをもっておられるあなたに・・

・主イエス・キリストは、「しかし、わたしは先に行って、そのあなたを待っています。」そうおっしゃっておられるわけです。

・「主イエス・キリストは、このような方なのだ!」私はもう一度そう思い、激しく感動するのです。

④ところで、このとき、主イエスは、なぜ、「ガリラヤで」と、言われたのでしょうか・・。

・遠藤周作という作家がおられますが、この先生は、本の中で、聖地旅行に行ったときに、ようやくこの意味がわかった、と書いておられます。

・遠藤周作さんは、イスラエル共和国に行ったときに、実際に南から、ガリラヤ地方に入ったことがあったそうです。この時、彼がガリラヤ地方に入って行きましたときに、急に緑が増えて、その光景は南部とは実に対照的であったそうです。

・この緑豊かなガリラヤ地方を見たときに、遠藤周作さんは・・「そうだったのか!ガリラヤで待っているとは・・命あふれる地で待っているという意味だったのか!ということに気が付いた。」本の中でそんなふうに書いておられます。

・私はそれを読みましたときに・・なるほど・・すばらしい感性をお持ちの方なのだなあ、そう思いました。

・また、多くの聖書学者たちは、この主イエスが「あなたがたより先にガリラヤに行きます。」と言われたことについて、これには、弟子たちの故郷、そういう意味があったからではないだろうか・・そう言っています。

・では、当時のイエスの弟子たちだけでなく、すべての人間たちにとって、本当の故郷。 人間が、最終的には帰りたいと切望しているところ、究極的な故郷。それは・・どこなのでしょうか・・・。

・聖書は、ヘブル11:13-16のところでこう語っています。
「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者(きりゅうしゃ)であることを告白していました。そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
 しかい実際には、彼らがあこがれていたのは、もっとよい故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」

⑤私が、きょうの聖書箇所で皆さんにお伝えしたいことがもう一つあります。 それは、この主イエス・キリストの約束の御言葉の中に、「復活後の・・再会の約束」が入っているということです。

○神学生のときです。 私がインターンで奉仕していたその同じ教会に、神学校の聴講生として夜学通っていた方がおられましたが・・この方が、ある日突然、天に召されてしまったのでした。

・教会に大きな衝撃が走りました。そして、教会は何とか、その悲しみを信仰的に受け止めようとして、互いに祈り励まし合っておりました。

・葬儀が終わって・・何日か経ったときです。一人の教会のご婦人がわたしに質問してきたのでした。

・私は・・その時、「難しいことは・・教会の先生に質問すればいいのに・・」と思ったのですが・・・
彼女は、神学生であった私のほうが聞きやすかったようでした。

・彼女は私にこんなふうに質問したのでした。
「あのう・・私たちキリスト者は死んでも、天に召される、というその約束はわかるのですけれど・・」
「私たちが、天国で再会できるということは、聖書のどこに書いてあるのでしょうか?
それとも、そういうことは書いてないのでしょうか?・・」

・私は、その時、実は、答えられなかったのでした。 聖書のメッセージが全部わかっていなかったからです。また、自分の中にも答えがなかったのです。

・その頃の私は、なんとなく、私たちの生涯が終わった時に、キリスト者は天の御国で、再会できるような・・そんな気がしていただけだったのです。

・教会の葬儀で・・教会の先生が、「天国で再会できます。」というようなことを言っていたような?・・
あるいは、信徒のだれかれとなく、そういうことを言っておられる方がいたような?・・そんな気がしていただけでした。 ですから、そこに関してはぼんやりと、なんとなくそんな風に思っていただけだったのです。

・復活についてははっきりしているけれども・・・再会については・・・聖書もはっきり言っていないかもしれない、そう思っていたのです。 つまり、私の中に確信がなかったわけです。

・この時、そのご婦人にどんなふうに答えたのか・・それはまったく記憶がありません。はっきりしていることは、その時の私は、結局何もこたえられなかったということです。
⑥しかし、もしかすると・・この点をはっきりとらえられていないのは、若かりし日の私だけではないかもしれません・・

・もしかしたら・・キリスト者の中にも、天の御国での、復活のことに確信はあっても・・
 御国での、再会についての確信がない・・そういう方もおられるかもしれません・・。

・しかしきょう、私たちは、そこのところをはっきり、聖書を通して見て行きたいと思うのです。

・ここで、主イエス・キリストは、二度、再会のことを語っておられます。
一度目は29節です。

・主はこうおっしゃっておられます。「今からのち、わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日・・・」

・つまり・・再会したその日・・ということです。

・二度目は、先程から見ています32節の中にあります。

・「あなたがたより先に・・」
つまり、あなたがたより先に先に行ってまっています。ということです。
 
・この主イエス・キリストの語っておられる御言葉をゆっくり読んでゆきますと・・ここで主は、再会のことを語っておられるというよりも・・むしろ、弟子たちと再会することが当然のように語っておられます。

・みなさん、いかがでしょうか・・。私には、御国に行ったとき、再会したい方がおられます。
先に行かれた、あの方、あの先生・・そして、何より、いま、地上で共に生き、温かい交わりが与えられている、愛する妻や愛する家族とです。

・きょう私たちは、再会について、主イエス・キリストが直々に語っておられることをしっかりと心に刻み、
この希望を心に秘め、きょうからの新しい一日一日を、力強く生き抜いていきたいと思います。

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