「昔の日のようにこれを建て直す。」アモス書9章11節

Pastor Ino

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今日は、アモス書9章を取り上げます。前回は、アモス書8章から、北イスラエルに終わりが来たと言う内容を語りました。終わりという言葉と、夏の果物という言葉が語呂合わせになっていて、北イスラエルが裁かれるということが明白に示されています。北イスラエルの指導者たちは、貧しい者たちを踏みつけ、自分たちの利益に走っている様子が指摘されています。それが裁きの原因の一つです。また、イスラエルは神の民であるはずなのに、誠の神から離れてしまい、そして金の子牛を礼拝する、そのような民に堕落してしまったのです。そのことも裁きのもう一つの原因となっています。アモス書8章11節には、「見よ。その日が来る。神である主の御告げ。その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」とあります。北イスラエルの民は、国を失い、神のみ言葉に渇くようになるとのアモスの預言です。彼らは、神のみ言葉を求めて、8章12節では、「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを探し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。」とあるのです。

北イスラエルの民は、国を失い、自分たちの拠り所を失って、初めて神のみ言葉を求めるようになるのです。しかし、幸いです。失敗しても、挫折しても、神はご自分の民をお見捨てにはならないからです。不思議なもので、神様はいつでも、選びの民を残しておられて、国の再建を約束されるのです。彼らは、後の日に国を再建し、命のパンであるキリストに出会うようになるのです。

さて皆さん、イエス様はどのようなお方でしょうか。もう一度学んでみます。イエス様は、命のパンである方、私たちの心をみ言葉と聖霊で満たしてくださる方です。ヨハネの福音書6章35節に、イエスは言われた。「私がいのちのパンです。わたしに来る者は決して餓えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」とあります。私たちは命のパンである主イエスを信じています。どんな霊的な渇きをもイエスは満たすことができます。私たちが日々パンを食べるように、聖霊によって、神のみ言葉をいただいて生きることができるのです。

アモス書9章は、神の再建の約束が中心となります。それらの言葉をまず選んでみましょう。9章8節には、「見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。主の御告げ。」とあります。神様は信仰を持つ一握りの民を残し、再建の道を用意してくださっています。

10節には、「わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない。』と言っている。」とあります。終末のこの時、私たちも神の前に謙遜になって、神を恐れて歩みたいものです。いつか世の終わりが来ます。そして、いつか私たちは神に出会うのです。これも聖書の約束です。そのような緊張感を持って、最後まで神に目を向けて人生を駆け抜けたい、そう私は願っています。

さぁ、回復のメッセージですが、11節から、「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。」とあります。イスラエルの民は出エジプトの経験をしました。彼らは木の枝で作った簡単な小屋である仮庵に住みながら、神を信頼することを学び、礼拝の民として成長し、後に偉大な国民となりました。もう一度、ここで仮庵を起こすと約束されています。仮庵を起こし、その破れを繕うとあるのです。神を信じる民としての再出発が起こるのです。

さぁ、回復の日は大きな収穫の日です。13節では、「見よ。その日が来る。主の御告げ。その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。」とあります。よく考えてみますと、収穫には一定のリズムがあります。畑を耕す、そして種を蒔く。そして刈り取る。ぶどうを踏み、ワインの熟成を待つ。そしてまた時期が来ると畑を耕し、種を蒔く。このみ言葉は、収穫があまりにも多いので、収穫の時期が延長することを指し示しています。彼らは、神の祝福を受け、豊かな収穫が終わると、すぐに耕し、種を蒔くようになるのです。そのサイクルが早まるのです。耕す者が刈る者に近寄るとは、豊かな収穫のゆえに、収穫のサイクルが早まるとの約束です。そして、山々は甘いぶどう酒をしたたらせとは、豊かなぶどうの収穫を意味します。

そして、14節には、「わたしは、わたしの民イスラエルの捕らわれ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直しで住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。」とあります。北イスラエルはアッシリアによって国を滅ぼされ、捕囚とされますが、もう一度彼らは帰って来るとアモスは預言します。神の回復の業を彼らは体験するのです。

さぁ、15節には、「『わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。』とあなたの神、主は、仰せられる。」とあります。彼らは回復し、しっかりと植えられるのです。回復の奇跡を経験するのです。ところで、現在イスラエルは大きな困難を経験しています。今イスラエルの周辺には争いが起こり、悲しい出来事がイスラエルには起こっています。しかし、神の約束は、彼らを植えることです。彼らに与えたその土地からもう引き抜かれる事は無いとあるのです。そのような時がいつか訪れます。これは今のイスラエルに対する神の約束でもあります。

ところで皆さんは、聖書をどのように読まれるでしょうか。短い言葉で聖書のカギとなる内容を表してみます。まず、第一に神の創造があり、第二に人間の堕落があります。第三に、イスラエルの民の選びです。神は彼らを、祭司の王国としようとしたのです。しかし彼らは、その使命に失敗し、国を失います。ちょうどアモスの預言のようです。ですから、四番目に、救い主キリストの誕生が約束されます。イエス・キリストの十字架を通して贖いの業が完成し、人類への救いの道が提供されたのです。五番目には、そのことを伝えるために教会が選ばれたことです。教会を通して福音が、世界に広がっていったのです。六番目には、創造の刷新です。神の創造の目的が回復し、刷新されるのです。刷新の時代、それは今私たちが生きている時代です。私たちはキリストを信じ、神の創造物を管理する、その使命に生かされています。現実には、世界には争いがいたる所で起こっていますが、私たちは神に祈りながら、知恵をいただいて、この地上に和解や平和をもたらす歩みを始めるのです。信仰者の祈りや働きが必要な時こそ、今なのです。そして、いつか新しいエルサレムが天から下ってくるのです。その時まで、私たちは刷新の使命を持って生きるのです。

もう一度、11節を読んでみます。「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。」とあります。昔の日のようにとは、ダビデ王やソロモン王の時の繁栄を表しています。15節には、「わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。」とあります。

今クリスマスのシーズンが始まりました。キリストは確かに平和の君として地上に来られたのです。そして、近い将来、全能の神として戻って来られます。イエス様、戻って来てくださいと祈りつつ、神の被造物管理の使命を持って生きようではありませんか。忠実に大胆に。私たちの日々の祈りや、また私たちの小さな働きを神は祝福してくださるのです。

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