↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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➀きょうはアドベント第二主日礼拝ですが・・きょうもたくさんの賛美がなされました。
・ところで・・なぜ教会の礼拝では、このようにたくさんの賛美が歌われることになったのでしょうか・・
・きょうは、その理由を・・聖書の中から見つけてゆきたいと思います。
・きょう開きます聖書の個所は、新約聖書の使徒の働き16章19節からです。
先ずは、そこを読んでみましょう。
・→ 聖書朗読 使徒の働き16:19-31
②この出来事の中心人物は、以前主イエスの弟子たちを迫害していたことのある、しかし今は、回心しキリストの弟子に加えられていた「パウロというイエスの弟子」 そしてもう一人のシラスという弟子、この二人です。
・この時、パウロとシラスは、人々に「主イエス・キリストにより、あなたの罪は贖われたのです。この方を我が主と受け入れ、あなたもまたその救いに与りましょう」というニュースを人々に語るために、ギリシャのテアテラというところにやって来たのでした。
・この街には、ルデヤという女性がおりました。
・彼女は、聡明で純真、且つ、神を敬う敬虔な信仰者であったようです。
ですから、パウロたちの宣教に、彼女はまっ直ぐに向き合い、そして心を開き・・
イエス・キリストを我が救い主と受け入れていったのでありました。
・14節15節には、このように書かれてあります。 → 朗読
・どうやら彼女は、周りの人たちから大変尊敬されていたようです。ですから、彼女の家族の者たちはみな、「ルデヤが洗礼を受けるなら、私も、私も」そう言って、次々と洗礼を受ける決心をしていったのでした。
・この出来事は、パウロとシラスにとってとても大きな喜びであったと思います。
・ところがです。 (私もたくさん経験してきたことですが・・)伝道の働きというのは、嬉しいことがあった時、その時こそ、その反対の辛い出来事が重なって起きるものです。
・この後パウロとシラスは、その街で、精神を病んでいた占い師の女性とその女性を利用して、金儲けをしていた、取り巻きの男たちに絡まれてしまいます。
・この男たちは、この精神を病んでいた女性が、パウロによって普通の人になってしまい、商売ができなくなったことを恨み・・このことを役人たちに訴えて、パウロとシラスを牢屋に入れてしまったのでありました。 ひどい話です。
③この不条理な出来事により、二人は、鞭打たれ暗い牢屋に入れられてしまったのでした。
この時二人の心境はどのようなものだったのでしょうか・・。
・多くの人は、このように想像すると思います。
「きっとこの二人は、暗い牢屋のその中にあって、正に暗澹たる気持ちになっていたに違いない。」
・ところが、実際の彼らは、その反対でありました。
・彼らは、その暗い牢獄にあって・・何と、神さまへの感謝の祈りと、神さまへの讃美の歌を歌っていたのでした。
・皆さん。この時の牢獄の情景を想像してみてください。私は、すごいコントラストだったと思います。
・暗い牢獄・・沈み切った囚人たち・・。一方、同じ牢獄に閉じ込められていながら、神さまに向かって心からの喜びと感謝の祈りをささげ、また、その神さまを心からほめたたえているその歌を歌っている二人・・
・言うまでもなく、この牢獄には、多くの囚人たちがいたのですが・・この時、なぜか・・誰一人、「おい!静かにしろ!」などとは言い出さなかったのです。
それどころか、囚人たちは、このパウロとシラスの祈りと賛美に聞き入っていたのでした。
それは実に不思議な瞬間、不思議な空間であったと思います。
・その時です。事件が起こります。 大地震が起こったのでした。
・この牢獄には看守がおりました。 看守は寝ていたのですが、突然大地震が起こったので、彼はすぐさま起き上がり、牢獄の扉の所に駆けつけます。
・扉の所に行って見ると・・何と、扉が全部開いていたのです。
・看守は、その開いてしまった扉を見て・・「ああ・・大変なことが起こってしまった。
囚人はみな逃げ出してしまったのだ!」そう思い、まじめな彼は、囚人を逃がしてしまった
その責任を感じて絶望し、剣を抜いて自らの命を絶とうとしたのです。
・ところがそのときです。誰もいないはずの‥牢獄のその奥の方から大きな声がしました。
「自害してはいけない。私たちはみなここにいる!」
そうです。使徒パウロの声でした。
・あろうことか・・大地震のために牢獄の扉がみな開いてしまったというのに・・パウロもシラスも、そしてその他の囚人たちも、一人も逃げ出すことなくそこにいたのでした。
④では、パウロとシラスは別として、なぜ他の囚人たちまでも逃げ出さなかったのでしょうか?
私は、ここに、神さまから私たちへの大事なメッセージがあるのではないか・・そう思うのです。
・暗い監獄にずっと閉じ込められている・・そういう状態にあった囚人たちの心の中を察すると・・誰もが、「一日でも早くここを出たい。普通の生活に一刻も早く戻りたい!」
そういう思いでいっぱいであったと思います。
・「そのためには・・先ずは、この解放の日が来る迄は、日々の辛さに耐えていこう・・」
そのように誰もが考えていたのだと思います。
・また、彼らの心の内には、死への不安があったと思います。
「こんなところに居ては、このまま死んでしまうかもしれない・・いや、いつか、殺されてしまうかもしれない・・そしてそこで、自分の人生は一巻の終わりになってしまうかもしれない・・」そういう、逃げようのない死への恐怖心です。
・つまり囚人たちは、ここから出れる日、つまり、ここから脱出できるその日がいつやって来るか・・ これが彼らの一番の関心事であったと思います。
・そんな彼らであったはずなのに・・ではどうして彼らは、今、その脱出できる絶好のチャンスが実際にやって来たというのに、誰一人逃げ出そうとしなかったのでしょうか・・。
・皆さんは、どうお思いになられるでしょうか・・?
・そうです。囚人たちが、そのままそこに居たのは・・彼らが一番望んでいた牢獄からの脱出よりも、この二人の伝道者のところにはもっともっと大事なことがある。彼らはそう直観したからでした。
⑤囚人たちのこのような心境の変化は、どこから始まったのでしょうか・・
・言うまでもありません。それは、二人の伝道者の賛美からはじまったのでした。
・彼らの賛美は、音楽的には大したことは無かったと思います。
彼らは音楽の専門家ではなかったからです。
・しかもこの時彼らは、何度も鞭打たれ、足かせをつけられていましたから、その声はしゃがれて、うめくような声でしかなく、それはひどい声の賛美だったはずです。
・しかし、彼らの賛美には、音楽を超えたものがあったのです。
・それは、真のいのちを得ている者の喜びの声でした。 主イエス・キリストによる、まことのいのちの希望を得ている者の叫びであったのです。
・彼らの賛美には・・悲しみ、苦しみ、絶望・・そういう人を踏みつけてしまうその闇を、吹き飛ばしてしまう、そういう力があったのです。
・殺されてしまうかもしれない・・地震によってここで死んでしまうかもしれない・・
そういう市の恐れさえ吹き飛ばしてしまう、そういう力があったのでした。
・そういうわけで・・現代のキリスト教会の礼拝でも、この賛美の時をことさら大切にしているわけです。
・そうです。真の命を戴いていることを確信しているキリスト者たちの賛美は・・
神さまから賜わる真のいのちを、人々の心に届ける力があるのです。
・また、真のいのちをいただいていることを確信しているキリスト者の賛美は・・
数々の困難と向き合っている人たちへの、真の希望を与える力があるのです。
・私たちも、パウロとシラスのように・・真のいのち、真の希望を届けることのできる
そういう賛美をするキリスト者へと、今週も一歩一歩前進してゆきたいと思います。
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