第二コリント5:15-17 落合牧師

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(原稿は日本語ですが、英語でのメッセージになります。音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
「15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

序文:早いもので2025年度も終わりに近づきました。私にとっては、新しいことがたくさん起きた年となりました。教団の新代表となり、今まででにないくらいに予定が埋まり、びっくりしました。また妻も、4月より目黒教会の伝道師として就任し、夫婦ともに新しい役割を担っているのですが、試行錯誤しています。
IBFのみなさんも、教会として40周年を迎え、新しい方向に向けての一歩を踏み出した年になっていると聞いています。
「新しい」ってよい響きですよね。なにか、希望、ワクワク感が伴います。
私は、「新しい」にめっぽう弱くてですね。新商品、スナックから、この携帯電話、電子機器類、またコーヒー関連のグッズ、そして食べるのが大好きなので、新店舗、新しくオープンしたレストランも結構チェックしちゃうんですよね。
特に、このクリスマスの時期、新しく生まれるものも多くあるでしょう。
しかし、私たちにとって、最も重要なのは、まったく新しい形で、主なる神様が、私たちに愛を示してくださった。
新しい歩みを始めることができるように、救いの計画を実行してくださったのです。
そして、また、もう一度、来られる新しい時を待ち望むことができる季節でもあります。
今年の3月になるんですが、東京にある母校の75周年式典に行ったのですが。
午後の式典の前に、卒業生が招かれて、現役高校生とサッカーの試合をする企画があったのです。
特に、数年前に、砂利の校庭が、サッカーが普通にできるように、人工芝になり、まさに新しくなったので、いつかサッカーしたいなと思っていたのです。
そこで、おじさんが若い人に混ざってサッカーをしてきました。
体は新しくないので、全然歯が立たないし、次の日も筋肉痛で大変でした。
それでも、新しいグラウンドにたって、サッカーができたのは、非常に嬉しかったです。

文脈
• 聖書にも、「新しい」をテーマにした聖句がたくさんあります。
• 特に、コリントの教会への手紙には、有名な箇所がたくさんありますが、その中でも、5章17節は、大きな励ましをキリスト者に与えてきました。
• コリントの教会とパウロの関係はスムーズにいかないことが多くありました。
• それでも、パウロは忍耐をもって、彼らを愛し、指針を与えていたのです。
• 特に、お互いを批難したり、分裂してしまっていた教会に対して、キリスト者が持つ基準がこの世のものとは違うこと。
• キリスト者は、違いを超えて、一致を目指す者たちであることを強調したのです。
• 昔は、罪人として、キリストから離れているものとして、希望のない者たちが、イエス・キリストによって、新しくされたことを宣言するのです。

「 17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
• 新しく造られた。
• 創世記の創造を思い出せば、造られたすべてのものを「良い」と宣言された主なる神。
• 機能している。役割を全うできている。素晴らしい!絶賛されている。
• いいね。と呼ばれる。素晴らしいと言われることは本当に嬉しいと思います。
• しかし、この世界に罪が入り、混乱が生じ、悪が蔓延し、よくないこと
• イエス・キリストを信じたものは、新しく造られたもの。
• 全く、ゼロからもう一度というよりかは、アップデートされたよ。
• そのように捉えるのが良いかもしれません。
• それも、それは、大刷新、大型アップデート。
• あらゆる古いバーツが新しくなった。
• 私たちの周りに大型アップデートしたものと言えば、スマホやパソコンなどの機械系を思い浮かべるかもしれません。
• しかし、あらゆるものがアップデートされています。
• たとえば、洋服、靴、特にランニングシューズは、びっくりするような技術が詰め込まれています。
• ただ、走ると言っても、やわらかい、ポンポン弾むのか、早く走るのか、ゆっくり走るのか。
• 用途としては、変わっていません。
• 昔の人からみたら、本当に靴と疑ってしまうような軽さと履き心地になっています。
• 電話もそうですよね。
• ひとつはコミュニケーションツールです。
• また、あらゆる仕事を効率かするものです。
• その基本的な部分は変わりません。
• しかし、昔とは大幅に変わりました。
• 昔の人が、見たなら理解できないくらいの変化です。
• 大昔の携帯電話は、ショルダーバッグみたいですした。
• パソコンは、部屋のほとんど埋めてしまう機材が必要でした。
• ちょっと前に、久しぶりに目黒教会に来た方が言ってましたね。
• 建物は昔と全然違う。10年前に建て替えたのですが、久しぶりに来た方はびっくりするのです。
• しかし、会堂の用途、中心は変わっていません。
• 主なる神を礼拝するために建てられました。
• 新しい機能が増えていても、基本的部分は変わっていません。
• では、私たちがキリスト者になって、新しく造られたとパウロが言うのは、
• どのような部分なのでしょうか。
• 皆さんは、キリストを信じてから、どのような部分が新しくされたと認識されていますか。

• パウロは、新しくされた部分の一つについてこのように言っています。
• 一節前を読んでみましょう
「 ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」
• 16節でパウロは、変化した部分について、キリストの知り方。
• これはどのような意味でしょうか。
• 「肉」とパウロが使用する時、それは人間的な部分、この世界的な基準のことを指すことが多くあります。
• 人を知る、皆さんは、どのように人を知るか、それは、基本的には、外見だったり、言動だったりしますよね。
• その人がどのような口調なのか、どのような行動パターンなのか。
• その人がどのような服を着ているのか。どのような態度なのか。
• お金持ち、どこを卒業したか。仕事、持ち物。
• あまり考えずに、私たちは周りの人を判断します。
• コリントの人たちも、この判断の仕方をしていました。
• 誰に従っているのか。パウロかアポロか。
• 知恵あるものか。推薦があるか、ないか。使徒か、使徒じゃないのか。など
• このように、人間的な基準、肉に従って人を知ろうとしていました。
• パウロは、そんなコリントの人々に、あなた方は、最初は福音を、イエス・キリストを信じた理由が、知識として、自分たちを優れたものにする、奥義みたいな形で受け取ったかもしれない。
• しかし、実際は、知識ではなく、神の知恵でした。
• それは、上から見下すのではなく、仕えるため。
• 高慢になるためではなく、へりくだるため。
• 何かを得るためではなく、与えるため。
• 最初はただの情報だったものが、聖霊を通して、神の知恵が与えられるようになっていったのです。
• この世の基準で物事を理解するのではなく、神の基準、神の国の視点で物事をみるようになっていった。
• そして、人を知るときも、神に造られた、神が愛される、存在としてみることができるようになっていく。
• 世の基準では、裕福と貧しいとか、知恵者、愚か者、強い、弱い。
• そのように知っていた人たちを、神に愛されている人たち、神の賜物を与えられているものたち、神に造られた大切な存在として知ることができるようになっていった。
• イエス・キリストについて知る、この方との関係を深めるには、短時間ではできません。
• 少しずつ、私たちはイエス様の素晴らしさを知っていきます。
• それは、ただ、聖書を読むだけではないことを、ただの知識ではないことを経験しています。
• さらに、興味深いのは、私たちは私たち自身のことも、さらに深くしるようになっていっています。
• 聖書の中で、知るという言葉は、頭の知識のことだけではありません。
• 関係性を表しています。さらに知るというのは、さらに関係を深めることです。
• 私たちが、イエス様との関係を深める方法は、人間的な方法ではなく、聖霊を通して、イエス様と交わる、イエス様を経験していく。
• 驚くべきことに、肉体的に接していないのに、イエス様を信じ、今ここにいることを実感し、そして、日々の中で愛されていることを体験しているのです。
• イエス様に愛されることによって、今までは愛することが難しった人を愛するようになれた。
• イエス様が私たちに忍耐を持って接してくださるから、私たちも忍耐することができるようになっていっている。
• 心配に溢れていたのに、平安が。怒りで溢れていたのに、優しさが。
• ゆるせなかったけど、ゆるせるように。
• 人の心を、上部でなく、内側に焦点を置き、そして、この世の基準ではなく、イエス様なら、どうするか。と考えるようになっている。
• そう、私たちはアップデートされていっています。
• そのような可能性があるとは思っていなかった。
• そのような側面があるとは想像もできなかった。
• しかし、私たちは、キリストにあって更新されていっている。
• 基準が変わったから、今までとは違う方法で物事を見ることできるようになった。
• パウロは、その根本的理由についても語ってくれています。
• もう一節もどりましょう。15節
「キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」
• 私たちがアップデートされたと言える最大の理由、それは根本的な生き方が変わったからなのです。
• なんと、キリスト者は、自分のためにではなく、死んでよみがえった方、イエス・キリストのために生き始めている。
• パウロは、コリントの教会の人々に力説します。
• 今までの生き方、この世の基準、価値観、方法論は、負のサイクルが続きます。
• 自己中心的な生き方は、自己中心を産み続ける。
• 戦争は戦争を、復讐は復讐を。ちょっと前に「倍返しだ」と流行ったくらいです。
• しかし、イエス様は、この世のためにご自身を捧げました。
• やられたら、やりかえすのサイクルを止めたのです。
• すべての人が永遠のいのちを得ることができるように、罪の問題、死の問題を解決されたのです。
• そして、イエス様を信じ、イエス様のために生きようとする人々は、イエス様のように、神を愛し、隣人を愛する、生き方になる。
• これは、全く違う生き方です。基準も、価値観も、方法論もひっくり返っています。
• 新しく造られたものだとパウロが宣言するのも納得です。
• ここで見過ごしてならないのは、イエス様が死んで甦った方である点。
• 死んでる人に仕えているのではなく、今生きている方のために生きている。
• それは、今指示を受け、今寄り添い、今導いてくださっている。
• そして、私たちも、自分に死ぬのであれば、よみがえらせていただける。
• 要らない部分を捨てることで、新しくされていく。
• さて、17節に戻りましょう。
「17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
• 新しくされるということは、その理由、目的がありますよね。
• 新機能が備える。それはその機能を使って欲しいからです。
• となれば、私たちが新しく造られるとは、私たちに役割が与えられているということになります。
• 新しくなって、新しい生活を通して、イエス・キリストのために生きて、神の宣教に携わっていく、加えられていくのです。
• パウロは、言います。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
• ギリシャ語では、どちからといえば、古いものから目を離して、こっちを見なさい。新しいが来たよ。
• どうしても、私たちは、過去に囚われてしまう生き物です。
• 忘れてたくても、思い出してしまうものがたくさんあります。
• 昔のことに、昔のやり方に、縛られてしまうこともあるでしょう。
• しかし、パウロは、今神様の働きに目を向けて欲しいのです。
• 今起きていることに加わって欲しい。
• 新しいことに目を向けて、新しいことに取り組んで欲しい。
• もちろん、それは、今のテクノロジー、現代の流行にのれと言っているのではありません。
• これまでの伝統や形式を捨てろと言っているのではありません。
• なぜなら、主なる神の働きは、実は、そこまで変わっていないからです。
• 18節でパウロはこのように言います。
「また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 」20節ではさらに、「私たちはキリストの使節なのです。」
• パウロの時代から、現代まで、「和解の務め」は一緒です。
• キリストに遣わされているのも、今も同じです。
• 重要なのは、キリストに変えられた私たちが、今の私たちが、そのまま、遣わされているということです。
• もしかしたら、どこに、誰にと考えているかもしれません。
• 私なんかと思われる方もいるでしょう。
• しかし、そこのところは、主なる神の導きに委ねてください。
• 私たちにできることは、今生きておられる主イエス・キリストに従っていく。
• このことに集約されてます。
• そして、これからも、さらに私たちをそのとき、そのときの必要に多じて、アップデートしてくださるからです。

結論
• 始めに、私は母校で75周年の式典に出席したお話をしました。
• 75年前に始まった学校の軌跡をみながら、本当に神様の祝福と恵みを実感しました。
• 75年前に学校を最初に立ち上げたとき、75年後学校が素晴らしい施設の数々、多くの国籍の生徒、一人一台パソコンを持ち、あらゆるスポーツや芸術に打ち込む学生で溢れるとは思ってはいなかったでしょう。
• しかし、神様の導きによって、少しずつ、しかし確実成長し、変化していきました。
• 同時に変わらない、CAJ、クリスチャンアカデミーインジャパンという、日本でキリスト教教育を行う学校は変わらずに歩んでいます。
• 私はその学校で様々なアップデートを受けました。
• 最初は、恥ずかしくて、英語がしゃべれない5歳の男の子でした。
• 人前で話すのが苦手。
• プレゼンも大っ嫌い。
• 証をするなんて、もっての他。
• しかし、演劇の楽しさを知り、仲間と歌をうたう。様々なことを通して、なぜか今は毎週聖書のお話をするようになりました。
• みなさんも、そのような歩みをしてきたのではないでしょうか。
• 主によって新しく造られ、そして、用いられてきた。
• そして、これからも私たちは新しくされ続けます。
• もしかしたら、外側は、古くなっているように見えるかもしれません。
• しかし、パウロが語ったように、内側は新しくされていくのです。
「16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」2コリント4章16節
• このアドベントの時期、イエス・キリストの誕生をお祝いする季節、私たちはさらに新しくされていくものとして、私たちを新しくしてくださる方の素晴らしい御わざを宣べ伝えていきたいと思うのです。

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