(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
今までダニエル書を取り上げて学んで参りました。特に救い主である、メシアの誕生や、その働きなどが預言されていて、そのいくつか取り上げました。3章には、ダニエルの友人3人が、ネブカデネザル王が造った金の像を礼拝しなかった故に火の燃える炉の中に投げ入れられた事件が書かれていました。そのことを皆さんも覚えておられるでしょう。神は奇跡的にこの3人を守られ、助け出されたのです。3章25節に、その時の王の言葉が書かれています。「すると王は言った。『だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている4人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第4の者の姿は神々の子のようだ。』」とあります。王が表現した神々の子とは、受肉前のイエス・キリストの姿であろうと理解されます。このような驚くべき困難の中で共に歩んでくださる救い主がおられる、このこともダニエルが伝える励ましのメッセージです。
今日はダニエル書12章に入ります。ここには救い主が、亜麻布の衣を着て、川の水の上に立っておられる姿が表現されています(6節)。この方が私たち信仰者と共に試練の時に歩んでくださる。これが今日のメッセージのテーマです。
もう一度、簡単に救い主の現れを振り返ってみます。2章45節には、「1つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いた」とあります。1つの石が人手によらずに山から切り出され、新たな国を建てること、これも救い主の誕生の預言です。この石がイエス・キリストであり、イエスはローマの時代に生まれ、天の御国をスタートさせたのです。既に言及しましたが、3章には、ダニエルの友人たちを火の燃える炉の中から救い出された救い主の姿が描かれています。6章には、獅子の穴に投げ込まれたダニエルを神は守られた内容が書かれています。この奇跡を体験した王は、この救い主を、6章27節で、「この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」と表現しました。人をお救いになる力を救い主は持っておられます。
そして7章からは、歴史の中心に立っておられる救い主の姿が明らかにされています。参照7章13,14節。この救い主は、いつの日か、彼に敵対する反キリストを滅ぼされるのです。反キリストが滅ぼされる、それは8章と11章の大きなテーマとなっています。このような終末の戦いの中で亜麻布の衣を着たイエスの姿が明らかにされています。亜麻布の衣とは祭司の服です。大祭司なる救い主イエスが大きな歴史の変化の中に立っておられるのです。それもダニエルが伝える大切なメッセージです(10章5節)。
さて、この救い主が試練や困難の中にいる信仰者に語りかけてくださる。その語りかけが12章の内容です。それでは12章を詳しく見てみましょう。 12章1節には、「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者は全て救われる。」とあります。終末に大きな試練の時が来るとダニエルは語ります。しかし、「あの書にしるされている者は全て救われる。」とありますので、試練を耐え抜いた信仰者には確かな救いが約束されるのです。黙示録20章12と15節にある「いのちの書」に名がしるされている者の救いは、確かなのです。そして、2節には、「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」とあります。眠っている者とは死者のことを表しますが、迫害の中、信仰のゆえに命を落とした多くの者たちの復活の約束です。永遠のいのちと永遠の忌みとありますが、旧約聖書では、死後の復活の記述は少なく、この永遠の命の概念が初めてダニエルを通して表現されています。そして、3節には、「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」とあります。多くの者を義とした者とありますが、この者は、福音を伝え、罪の赦しの希望を語り、神との和解のメッセージを語ることのできる者のことです。この者を神が祝福されると伝えています。
5節には2人のみ使いが川の両岸に立っている幻を書かれています。ダニエルは 6節で、川の水の上にいる亜麻布の衣を着たイエスに尋ねるのです。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」と。不思議なこととは終末の出来事です。反キリストが麗しい国に攻めてくる。信仰者に迫害が起こる。そしてついに反キリストが裁かれる、そのような内容です。そしてこの方は、創造主である父なる神に両手を向けて誓って言います。7節に、「それはひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」とあります。以前取り上げましたが、大きな試練、また困難の時を表す3年半への言及です。神が悪を滅ぼす前に、この大きな試練は確かに来るのです。この試練の期間は永遠に続くものではありません。完全数である7年の半分であり、それは、不確かで、限定された期間を表しています。7章25節参照。終末に起こるであろう忠実な信仰者への迫害を神は許されています。10節には、「多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。」とあります。こうして練られるとありますから、実は迫害を通して、信仰者は練られ、整えられ、清められ、神の働きのためにふさわしい者とされるのです。これも終末の時に起こって来るのです。皆さん、私たちの救い主イエス・キリストがこのことを許されたのです。
このひと時とふた時と半時の間、大きな試練は起こるのですが、その後に神の正しい裁きがなされ、この世の終わりが来て、新しい天と新しい地が創造され、神の民がその住民となる。そのような時が訪れるのです。この3年半は文字通りの期間ではありません。11節には、1290日の言及があり、そして12節には、「幸いなことよ。忍んで待ち、1335日に達する者はとあります。実は、1290日とは3年7ヶ月になります。試練の時はある者にとってはより長くなるのです。そしてそれよりも45日長い 1335日に達する者は幸いであるとあります。迫害を最後まで耐え忍ぶ者こそ幸いであると、ダニエルは私たちに語りかけています。最後に13節で、「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」とあるのです。生涯の終わりまで、神に忠実に歩みなさい。そして希望を持って地上の人生を終えなさい。神の国が訪れ、あなたは永遠を神とともに生きることになるのですとのメッセージです。
幾つか新約聖書からのみ言葉を読んで見ます。イエス・キリストを信じ、試練を乗り越え、永遠の命に目を注いで、共に歩んでいこうではありませんか。イエスが大祭司として、私たちの人生を共に歩んでくださっておられるのですから。
「そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
マタイによる福音書 24:4-13 口語訳
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
コリント人への第一の手紙 10:13 口語訳
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」
ローマ人への手紙 5:3-5 口語訳