「よろめかす杯と重い石」 ゼカリヤ書12章2,3節

Pastor Ino

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前回は、愚かな牧者とのテーマを取り上げました。その際、イエスの働きに反対し、彼を十字架につけてしまう、そのようなリーダーが起こるとの預言であることに言及しました。今回はゼカリヤ書12章に入ります。今日のテーマは、2節と3節の言葉、よろめかす杯と重い石です。神様はエルサレムを選ばれたのです。それは人の思いではありません。神が選ばれたのです。どんなにユダヤの民が失敗をし、捕囚とされるような悲しい出来事を経験したとしても、神の選びは変わりません。ユダヤの民は、聖なる国民、祭司の王国として歩むようにと神は願っておられるのです。

また、エルサレムで、愚かなリーダーのゆえに、神の子キリストは十字架につき、苦しまれ、人類の罪を背負い、死なれました。しかし、イエス・キリストは三日目によみがえられたのです。大きな神の救いの御業がこのエルサレムで起こったのです。エルサレムの選びと、十字架、そして、イスラエルの民の悔い改めが12章で明らかにされています。私は願います。イスラエルの民が神の御言葉を受け取り、悔い改め、イエス・キリストを信じ、聖なる国民、祭司の王国としてしっかりと歩み、良い証をすることができるようにと。

それでは12章の内容を見てみましょう。1節には宣告とあります。神の裁きと救いが明らかにされます。2節には、「見よ。私はエルサレムを、その周りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。」とあります。12章は、周りの国々からエルサレムが包囲され、攻撃を受けることが預言されています。よろめかす杯とは、神の怒りのぶどう酒が盛られている杯です。飲む者を滅ぼす杯です。攻撃を仕掛ける民は、酒に酔った様に、戦いを放棄し、散らされて行くのです。

3節には、「その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって、重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。」とあります。神が選ばれたエルサレムは、重い石となり、それをかつぐ者はひどく傷を受けるのです。エルサレムに害を加えようとする者が逆に傷を受けるのです。神ご自身がエルサレムを守られるのです。そのような言及が、4節と5節には書かれています。エルサレムの住民の力は彼らの神ご自身、主にあるのです。そして6節には、神ご自身が、「回りのすべての国々の民を焼き尽くす。」とあります。神が選んだエルサレムは神によって守られて行くのです。そのような約束をゼカリヤは民に伝えています。

もう一度、彼らの状況を見てみましょう。彼らは神殿の基礎をすえました。そして今神殿を完成しようとしています。彼らが造り上げるこの神殿で、神への礼拝がなされ、御言葉への従順が起こるのです。このようなイスラエルの民を神は喜ばれます。そして、もしあなたたちが聖なる国民、祭司の王国として歩んで行こうと決断をするならば、私があなたたちを終わりの日まで守るよと神は語りかけておられます。7節には、「主は初めに、ユダの天幕を救われる。」とあり、8節には、「その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。」とあります。そして、9節には、「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を探して滅ぼそう。」とあるのです。主ご自身が彼らを受け入れ、彼らを守られると約束しています。これらは、その日と表現されている終末の時におこる預言でもあります。

しかし現実はどうでしょう。今から約2000年前、愚かな羊飼い、牧者の故に、イスラエルの民はイエスを十字架につけ、自分たちの救い主を拒んだのです。そのような彼らに10節では、「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」とあります。恵みと哀願の霊ゆえに彼らの目は開かれるのです。12節に、「この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。」とあります。それは、民全体が、また、一人一人が真実の悔い改めをするとの預言の御言葉です。終末の時、イスラエルの民は、イエス・キリストを救い主として受け入れ、悔い改め、その悔い改めは個人にとどまらずに、国全体に及んで行くとの預言であると理解できると思います。

新約の時代、イエスはパリサイ人や律法学者との争いを経験します。彼らの多くは、イエスを神の子キリストと受け入れることができなかったのです。私は世の初めから存在する者ですとのイエスの言葉に驚き、彼らはイエスを神の子と受け入れることができずに、イエスを十字架に着けてしまったのです。ところがイエスは復活し、そして聖霊が注がれ、教会が誕生します。その中にはイエスの弟子だけではなく、悔い改めたユダヤ人が大勢いたのです。残念ながら当時の指導者たちはイエスをキリストと信じることができず、教会はそのようなユダヤ人によって迫害され、世界に散らされて行くこととなります。そのような民に神の大きな裁きが紀元70年に起こり、エルサレムはローマ軍によって破壊されてしまうのです。ユダヤの民は国を失います。それでも新約聖書はユダヤの民は救われると預言します。ローマ人の手紙11章29節には、「神の賜物と召命とは変わることがありません。」とあるのです。続けて、パウロの預言を見てみましょう。

ローマ人の手紙11章25-27節に、「兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、 『救う者がシオンからきて、 ヤコブから不信心を追い払うであろう。 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、 彼らに対して立てるわたしの契約である。』とあります。

神は、イスラエルの民が福音を受け入れなかったので、まず異邦人に福音が伝わるように新たな道を備えたのです。一部のイスラエル人がかたくなになり、異邦人が救われて行き、その後、イスラエル人は救われるという神の不思議なご計画です。

28,  29節には、「福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。 神の賜物と召しとは、変えられることがない。」とあります。それゆえに、私たちクリスチャンは、謙遜になり、福音を世界に伝え、信仰者として生き、ユダヤ人のために祈るのです。福音は、こう語ります。ローマ書10章9,10節に、「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」と。続く12、13節には、「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。」と書かれています。イスラエルの民も、イエスを救い主として、いつか受け入れるのです。それも終末の時、起こることです。

ゼカリヤ書は、終末の時起こることとして、イスラエルの民の救い、偽預言者の裁き、大きな試練、イエスのオリーブ山への再臨、諸国のエルサレムへの攻撃とエルサレムの勝利、全ての民による主への礼拝、仮庵の祭りを通した救いの感謝などを伝えています。次回はこれらに触れてみます。

ところで、先週はイスラエルでの選挙が行われました。この原稿を書いている11月29日には選挙結果が明らかになっていません。でも、皆さんで祈りたいです。イスラエルの民が救われること、聖なる国民、祭司の王国として、彼らが立つことができるように。また、私はあなたを守るよと言う、ゼカリヤ書の約束をイスラエルの民が信じることができるように。そして、平和が中東に訪れるように。

今週は、アメリカで中間選挙がおこなわれます。何人ものクリスチャンや牧師が候補者として選挙で戦っています。彼らが本当に神の御心を求め、世界に平和や神のみこころがもたらされるように祈っていこうではありませんか。

今日はローマ書11章15-24節の御言葉を読みながら私のメッセージを終えたいと思います。

「もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。 もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。 しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、 あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。 すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。 まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。 もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。」口語訳

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