使途の働き9:26-31「慰めの子、励ましの人と呼ばれた人」

Pastor Kitazawa

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➀私が宣教を担当しました昨年の11月の礼拝では、新約聖書の使徒の働き9章の所から、初代教会時代のキリスト者たちを迫害していたサウロという男が、神さまの偉大な哀れみによって回心に導かれたこと・・

・また、その後神さまは、そのサウロを再生するために、柔和で敬虔な信仰者であったアナニヤを彼のもとに送り・・サウロは、そのアナニヤのやさしさに助けられて、元気を取り戻しいったということを皆さんとご一緒に観てゆきました。

・しかし、その後のサウロの歩みを、さらに詳しく見てゆきますと・・実は・・このサウロの再生には、もう一人の人物が関わっていたということがわかります。

・その「もう一人の人物」 それは、「バルナバ」と呼ばれていた人物でありました。

・きょうは、この「バルナバ」と呼ばれていた人物に焦点を当てて、その信仰のすばらしさ、その人格のすばらしさ・・そしてその人物を用いた神さまのすばらしさについて、ご一緒に学んでゆきたいと思います。

➁さて、生まれ変わったサウロですが・・彼は、すぐさま2つのことにエネルギーを注いでゆきました。 勿論、その第一の事は、福音宣教の働きでした。

・彼は、元気を取り戻すと・・、直ぐに、諸会堂で、「イエスこそキリストである」と、力強く、人々に宣べ伝え始めたのです。

・もう一つ、彼が力を注いでいったことがありました。

・それは、主イエス・キリストの弟子たちの仲間に加わろうと努力したことでした。

・彼は、キリスト者は、互いに、一つの家族として、この地上での歩みにおいて、力を合わせて、互いに励まし合い、愛し合いつつ前進して行くべきである、そのことを確信していました。

・つまりパウロは、教会の働き人としての再生にも懸命に取り組んだのでした。

・しかし、これがなかなか簡単ではありませんでした。
それはそうです。今の今まで、彼は、キリスト者たちの命を脅かしていた迫害者だったからです。

・そういうわけで、当時の教会のほとんどの者は、サウロが回心したと聞いても、彼への強い警戒心を解くことはありませんでした。 それどころか・・「もしかすると・・このサウロという男は、回心者を装って、内部に侵入し、キリスト者たちを一網打尽に捉え、教会を消滅させようとしているのかもしれない・・」このような心配をしていた者も少なくなかったのです。
・また、ペテロをはじめとした使徒たちも、サウロへの恐れと警戒心を強く持っていたのです。

・しかしここで、神さまは一人の人物を用いられます。 それがバルナバでした。

・彼の本名は「ヨセフ」でしたが・・教会の人々は、その彼の素晴らしい人格に触れて、いつ日か、彼の事を「慰めの子」あるいは、「励ましの子」という意味のバルナバと呼ぶようになっていた
のです。

・つまりこのバルナバは、人々から、別名で呼ばれるほど、教会の中で、尊敬されていた一人だったのです。

・この「使徒の働き」という聖書の中で・・バルナバという名前が登場する聖書個所を読んでゆきますと・・彼のその人柄とそのすばらしい生き様がうかびあがってきます。 

・聖書の記事によりますと・・彼は教会の働きのために己の全財産を教会の働きのために差出し・・多くの人たちに、神さまの慰めを語り続け・・、多くの人たちを励まし・・、 多くの人たちに、己の背中に主イエスの姿を感じさせながら、文字通り、教会の人々をあらゆる面で支えていた人物であったようです。

③9章の26節~28節には、回心したサウロが、キリスト者たちの仲間になろうと、したときのことが記されています。

・読んでみます。→「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、皆は彼を弟子たちとは信じないで、恐れていた。」

・「ところが、バルナバは、彼を引き受けて、使徒たちの所に連れてゆき、彼がダマスコに行く途中で 主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また、彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。」

・「それからサウロは、エルサレムで弟子たちと共に居て自由に出入りし、主の御名によって大胆に語った。」

・そうです。キリスト者たちから絶大な信頼を得ていたバルナバは、迫害者として恐れられていたサウロを、主にある兄弟として、使徒たちに引き合わせたのでした。

・つまり、バルナバは使徒たちにこのように語ったのです。
「私はこの目で、回心した後の彼の生き様を見てきました。
彼こそ、神に立てられた本物の伝道者です。心配はまったくありません。」

・尊敬するバルナバからこのように聞いた使徒たちは、「バルナバがそういうならば・・」と大いに安堵(あんど)して、サウロへの警戒心を一気に解いたのでした。
・こうして、教会の人たちから受け入れられたサウロは、この後、各地に居たキリスト者からの協力を受けながら、さらに力強く、世界宣教への歩みを進めていったことは言うまでもありません。

・そして、そこから始まった福音宣教の働きは・・時が経ち・・遠いアジアの、南流山にも及んで・・
 伊野先生ご夫妻に志を与え、そして、このように、愛する方々を次々とこの教会に加えてくださり・・今日このように、この地でも主イエス・キリストを礼拝する教会ができていったのです。

④私は、この、サウロと使徒たちの和解の時の様子、この時の教会の雰囲気を想像すると・・、何か嬉しくなってきます。

・そうです。この時、教会は・・このバルナバの一言で、一気に心が一つになり・・サウロの過去の過ちを皆が心から赦し、正に主を愛するワンチームとなることができたのでした。

・なぜ彼らは、このようなすばらしい瞬間を迎えることができたのでしょうか・・

・それはもう言うまでもありません。 そこにバルナバというすばらしい人格者がいたからです。
そしてなにより、神さまが、そのすばらしいバルナバの人格と、そのすばらしい信仰を用いられたからでした。

○また、もう一つお話しておきたいことがあります。

・それは彼が、バルナバ、つまり、慰めの人、励ましの人と呼ばれるほどに、彼が常に、「主イエス・キリストのその寛容さに満ちていた」いうことです。

・皆さんが心から尊敬する人は、どのような人でしょうか・・
 
・当時の教会の人たちは、このバルナバに、主イエス・キリスト背中を感じ取っていたのではないでしょうか・・

・たとえ、以前は恐ろしい迫害者であったとしても・・もしその人が、神さまの御前で心から悔い改め・・、神さまによって、生まれ変わっていったのなら・・そういう者であるならば、バルナバは、ためらわず、その人をまっ直ぐに受け入れて・・主にある家族として、その人の働きを支援していったのでした。 

・そうです。彼には、このような心の広さ、純真さ、と同時に・・、新しく生まれた、その人が、本物かどうかを見抜く、その洞察力もあったのです。

・このバルナバの、この赦す心・・そしてその正確な洞察力、これは正に、主イエス・キリスト、その方から来ているに違いない・・」当時の教会の人々はそう感じ取ったに違いありません。
⑤このバルナバという人物が、正に「人を生かす人」であったということがよくわかる、そういう聖書個所がもう一か所あります。ぜひそのことも知っていただきたいと思います。

・それは、若く未熟なマルコを励まし成長させていったバルナバの記事が載っている、使徒の働き15章の所です。しかし、残念ながらきょうは時間の関係でそこを詳しく取り上げることはできませんので、ごく短くお話しします。

・この時、バルナバは、パウロと激しく論争してまで、若いマルコを擁護したのでした。

・バルナバはこの時、このように考えていたのです。
「今のマルコは確かに、弱さがあり、未熟さがあり、失敗も起こしやすいかもしれない・・しかし、人は、いろいろと失敗を重ねながら、成長してゆくものなのです。
マルコはきっと近い将来、見事に成長してゆくそういう器です。そして彼は、必ず、神さまのすばらしい御業に用いられてゆくに違いないのです。
このような器こそ、励ましながら、大事に育ててゆかなければなりません。私たち年配者には、その責任があるのです。」

・そしてマルコは、実際にそういうすばらしい器へと成長し、神さまの御業に見事に用いられていったのでした。

・私は思います。  このバルナバのこの寛容な心・・それは、単なる一人の人間の特徴ということではなくて・・この、彼のような考え方、彼のような生き方こそ、神さまが、私たちキリスト者一人一人に求めていることなのではないだろうか・・

・神さまが、新しい年も・・IBFからも、バルナバのような人物が次々と起こされてゆく・・そのことを期待されているということを覚えながら、今週も一歩一歩、主の愛に包まれつつ、歩んでゆきたいと思います。

・お祈りいたしましょう。

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