使徒の働き20:32-38「御国を継ぐ者の生き方」

Pastor Kitazawa

↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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➀先月の礼拝では、新約聖書使徒の働きの20章から・・使徒パウロが、愛するエペソ教会の長老たちを呼び寄せてお別れの説教をした、その出来事を皆さんと観てまいりました。 

・しかし残念ながら、時間の関係で、この時の使徒パウロの説教の、前半部分だけを取り上げたのでした。

・そこできょうは、前回取り上げることができなかった、パウロのこの説教の、その最後の部分に光を当てて、そこから神さまのメッセージをご一緒に探してゆきたいと思っています。

➁前回も申し上げましたが・・この時パウロは、エルサレムに戻る決心をしておりました。
しかしこれはとても重い決断でした。 当時の群集の動きから見て、今、パウロがエルサレムに帰ることになれば、彼はすぐにでも何らかの方法で殺されてしまう、その可能性が非常に高かったからです。

・ところが・・聖書の、この先を読んでゆきますと分るのですが・・実際は、神さまの強いご介入によって、パウロはエルサレムに帰った後も、直ぐに殺されるようなことにはなりませんでした。

・けれども、少なくとも、このエペソの教会の長老たちを前にしていたこの時のパウロは、死の覚悟をしておりました。ですから、このパウロ説教は、死を覚悟した、お別れの説教であると同時に、この説教は、彼の遺言的説教でもあったのです。

・皆さんでしたら、どうでしょうか・・「間もなく自分の人生は終わるように思う・・」そう予感させられているとき・・その時に、皆さんでしたら、愛する人たちに、どんな言葉を残そうとされるのでしょうか・・

・そのような時・・人は、「自分の心の中心にあるものを隠すことなく語ってゆく・・」
これが自然のことではないでしょうか。

・そして、そのような時こそ、人は・・その人の心の中心にある・・その人をずっと貫いてきた・・そういうものが、自然と言葉となって出て来る、それが人間というものではないでしょうか・・。

・もし自分の財産を膨らませる事ばかり追いかけてきた人であればやはりその方の最後の言葉は、この後、その遺産をどうするべきか、そのような話になるでしょう・・

・しかしもし、その人が、文字通り、神さまを愛し、隣人を愛してきた人であれば・・その神さまと共に生きることの幸いについて、愛する者たちへ語ることになるでしょう・・

③では、キリスト者の中のキリスト者と言ってもよい、使徒パウロは、この遺言的説教のその最後で何を語ったのでしょうか・・
・実は、聖書の中で、使徒パウロが、キリスト者たちの前で説教している、その場面を記しているのはここだけです。 この説教以外はみな未信者に向けての宣教です。

・たとえば・・あのアテネでの彼の説教もそうです。あの時パウロは、聞き手であるギリシャ人への文化的配慮・・それに、初めて福音に触れる彼らの心理的配慮に満ちて語っています。

・これは当然です。 福音を語る者は、聞く者への温かい配慮を欠かさない、ということは福音を語る者の必須条件であるからです。 

・ですから、彼は、独りよがりにならないように、最新の注意を払って話を展開させました。
しかしその結果、残念なことにまっ直ぐに福音を語る、ということにはならず、人々のその反応は実に冷ややかなものになってしまったのでした。

・ところが、きょう私たちが開いている聖書個所に記されているこの説教、その聞き手は全員キリスト者たちでした。しかも皆、信仰者として当時の教会の人たちから尊敬されていた長老と言われるリーダーたちでした。

・ですから、パウロは、ここでは、思い残すことなく・・また、何のてらうことなく、彼の心の中にあることを、まっ直ぐに、はっきりと語っていったのでした。

・それは、正に、主にある兄弟、主にある姉妹に語られたお別れの言葉であったのでした。

・つまり、きょうの、この彼の説教は、神さまによってきょうここに集められている、私たちIBFの一人一人にも、使徒パウロからの、心からの最後の訴えが語られている、そういう説教であるわけです・・。

・ですから、私たちは、きょうこそ、この使徒パウロの残した最後の最後の言葉を、襟を正してまっ直ぐに受け止めてゆかなければならない・・私はそのように思うのです。

④この説教の最後で、使徒パウロは、二つの事を言い残しています。

○第一の事、それは32節にあります。 → 朗読

・ここで使徒パウロは、大胆な神さまからのメッセージを伝えています。

・パウロは、「あなたがたは、天国に行くことができる」と言っているのではありません。

・「天国に行ける・・」これは確かにそれはありがたいメッセージです。嬉しい希望です。しかし考えてみると随分と漠然とした未来とも言えるのではないでしょうか・・。

・しかし、ここで使徒パウロは、キリスト者たちに、もう一歩踏み込んで語っています。
・彼は、ぼんやりと天国などと言わずに・・「聖書の御言葉は、あなたがたを、神さまが用意されている、次の世界での相続人にふさわしい 人間へと育成することができるのです。」

・「ですから、精一杯御言葉を学び、御言葉の教えをあなたの血や肉にして、その御言葉によって生きる、生き抜く、そういう神さまの喜ばれる人になってください。」このように語るのでした。

・ここにいたキリスト者たちは、「はっ」としたと思います。 
「御国の相続人・・」それは、余りに輝かしい未来だからです。

・つまり、神さまの救いに与ったあなたがたの未来は・・神の相続人・・つまり、神の愛・・神の知恵・・神のお与えになるいのち・・それらの神の財産を、受け継ぐ存在として生きることになる、そう語られているからです。

・あまりに踏み込んだ説教だったので、聞いていた長老たちの一部の人たちは、一瞬ためらったかもしれません。しかし、彼らはみなすぐにこのパウロの宣教を、実に素直に、そして真正面から受け止め・・受け入れ・・そして喜びに満ちて行ったのでした・・。

・別れの悲しさもありましたが・・彼らには、それ以上に、「御国の相続人になる・・」
この言葉によって、大いに励まされ、その励ましは、悲しみを超えて余りある喜びがあったと
思われます。

・そうですこの時の彼らのその涙は、別れの悲しみと、未来への希望へのうれし涙とが混じり合っている・・そういう涙だったのです。

⑤最後の言葉の第二の事は、33節から35節に語られている内容です。

・それは、使徒パウロが、主イエス・キリストによって、新しく生まれ変わらせていただいた後、そこから、今日までの歩みの中で・・彼が、ずっと貫いてきたことについてでした。

・33節~35節の所です。読んでみます。→33節~35節の朗読

○少し話がかわりますが・・私は50代の後半まで、愛知県の田舎の教会で牧師をしておりました。

・夏になると、だいたい毎年、岐阜県の根尾川というところにある教団施設で夏季キャンプの講師として働きました。

・そんな、キャンプ場のある朝・・一人で散歩に出掛けた、私は、しばらくすると・・小高く、川の流れがよく見える所に出ました。

・根尾川のその清流をよく見ると・・時々、何かが光るのでした。「何だろう」と思い、しばらく川の流れを眺めておりますと・・それは、アユの姿だったと分かったのでした。

・考えてみますと、当たり前ですが・・川にいる魚は、みな川の流れに逆らって上流を向いて泳いでいるのでした。

・アユたちは、流れに逆らって生きていました。そして、時々、太陽の光に反射して、きらっ、きらっと輝くのでした。 「きれいだなあ・・」そう思いました。

・この時、今は天に召された、羽鳥明先生の礼拝メッセージを思い出しました。
あの時、先生はこのように話しておられました。
「多くの人が、流れのままに、流れてゆく方向に向けて流されてゆく・・
 しかし、川で生きている魚は、流れに逆らって泳いでいる・・真(しん)に生きているとはそういう姿ではないでしょうか・・。」

・確かに、多くの人は、受けることを望んでいる・・愛されることを望んでいる・・助けられることを望んでいる・・優遇されることを望んでいる・・認められることを望んでいる・・
理解されることを、得することを、幸福がもたらされることを望んでいる・・
勿論、そういう方向が・・そういう考え方は悪いこと、そんな頭下しの言い方を聖書はしておりません。

・しかし・・使徒パウロは、ここで、こう言うのでした。→ 私は、主イエスご自身が「受けるよりも、与える方が幸いである」と言われた、このみことばを、人々が、私の生き方を通して、思い出すことができるように、ずっと、あなたがたに示してきたのです。

・ここには、二つの幸せについての比較が語られています。

・ひとつの幸せは、自分が受けるという幸せです。・・この幸せは、多くの人が追い求めています。 もう一つの方向性は、受けるとは反対の方向・・与える幸せです。

・パウロはこう言うのでした。
「あの主イエス・キリストは・・受けるよりも、与える方が幸いです。と私に教えてくれました。  
 それで、私は万事につけて、あなた方にそのことを示してきたのです。」

・つまり、彼は・・「私は、多くの人が流れてゆく、その流れとは、反対の方向に進んできました。
 世間一般の方向とは、ちょうど反対の・・一段高く深い、その幸せの中に生きてきました。キリスト者はそのような者であることを神さまは臨んでおられるのではないでしょうか・・」このように、彼は、愛するキリスト者たちに問いかけたのでありました。

・きょうの聖書個所で語られえている、御国の相続人としての未来・・。そして、この地上の生き方で、より深くより真実な幸せとは何か、というこのメッセージを今週、心に刻みながら・・
そのことを覚えながら・・、歩んでゆきたいと思うのです。

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