「ついに彼の終わりが来て、彼を助けるものはひとりもない。」ダニエル11章45節

Pastor Ino

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前回は、ダニエル書9章を取り上げました。そこには、ダニエルの祈りが書かれています。ダニエルは、「あなたの聖所にあなたのみ顔を輝かせてください。」と祈ります。実に礼拝者として、的を得た、本質を理解した祈りです。聖所が神の宮となり、礼拝が回復していく、そのことを求めたのです。この礼拝の回復を求めた祈りに神はお答えになります。この祈りへの神の答えは、イエス・キリストの誕生の約束であり、イエス・キリストの働き(属性)の啓示なのです。私たちは、聖所での礼拝に戻る必要はありません。礼拝は、イエスの十字架での働きによって、場所や時間を超えて私たちに開かれているのです。

今回はダニエル書からの7回目のメッセージです。ダニエル書10章と11章の内容を取り扱います。今日の取り扱うテーマは、反キリストが神によって裁かれる、そのメッセージになります。既に反キリストが起こると言うことを、8章で取り上げましたが、11章では、シリアとエジプトとの争いの中で反キリストが起こり、神への礼拝が妨げられていく、そのことが幻を通して明らかにされています。私たちは終末に近づいている時代に生きています。今日は、神は歴史を握っておられる。そして、全てをご存知で、私たち信仰者を守っておられる。そのような内容もこの幻を通して明らかにしていきたいと願っています。

もう一度触れますが、前回はダニエルの祈りを通して、メシアが与えられるとのメッセージでした。このメシアは、十字架を通して私たちの罪を贖い、永遠の義をもたらしてくださいます。(9章24節)

旧約の大きなテーマであるメシアの姿がダニエルにはいくつか明らかに描かれています。ローマの時代にメシアは生まれ、今までの国々を滅ぼし、神の御国を起こしてくださいます。メシアは十字架の贖いを通して私たちを義としてくださるのです。同時に、メシアの登場と反キリストの登場が明らかにされています。このことは切り離すことができないのです。ダニエルはこの反キリストのテーマを、新たな幻を通して、もう一度私たちに教えているのです。

10章では、ペルシャとギリシャの戦いが、この地上だけではなく、天上でも行われていることに言及しています。そして10章13節には、ミカエルと言う天使が出て参ります。このミカエルはイスラエルを守る天使として登場いたします。ペルシャを守ろうとする天使、同時にギリシャを守る天使、そのような存在がここで幻を通して示されています。そして、天上での戦いと共に、この地上で、ペルシャはギリシャによって滅ぼされていく、そのことが明らかにされています。

11章3節には、「ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。」と書かれています。これはアレクサンドロス大王のことです。このギリシャの王は、大きな力を持ってペルシャを滅ぼし、エジプトまでの広い領土を獲得します。しかし、4節には、「しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こそぎにされて、その子孫以外のものとなる。」と書かれています。アレクサンドロス大王の後、ギリシャは4つに領土に分けられます。そして5節からは、シリアを治める王、エジプトを治める王の戦いの様子が描かれています。南の王とはエジプトの王のことです。北の王とはシリアの王のことです。いくつか注解書を開きますと、このダニエルの預言のように、何人もの王が起こり、エジプトとシリアの争いが続いたことがわかります。神は歴史を確かに握っておられるのです。

しかし、21節には、「彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。」とあります。22節には、「洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。」とあります。この卑怯な者は、紀元前175年に大祭司オニアス3世を失脚させたのです。そして、近隣の諸国を攻め、領土を広めたのですが、ローマによってその力がそがれます。29節には、「定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この2度目は、初めのときのようではない。」とあります。南へ攻めて行くと言うのは、エジプトに攻撃を仕掛けるということです。しかし、30節で、「キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。」とあります。キティムの船とはローマ海軍のことです。ローマによって彼は自分の意欲を妨げられ、麗しい国であるイスラエルに攻撃の矛先を向けるのです。

31節には、彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らすいむべきものを据える。」とあります。怒りに駆られたシリアのアンティオコス・エピファネス王は、エジプトの遠征から戻り、その途上にイスラエルの神殿を汚し、祭司を退け、そして神の神殿に異教の祭壇を持ち込むのです。この事は既に、ダニエル8章で取り上げていますが、もう一度この者を反キリストとして11章でも、その幻の中で明らかにしています。

33節には、「民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。」とあります。私は8章を取り上げた時に、アンティオコス・エピファネス王がイスラエルを攻めた時に、ユダヤの民の中から解放のための闘いが起こって来たことに言及しました。それは、マカバイ戦争と呼ばれます。そして、もう一度エルサレムの神殿に真の礼拝が復活したのです。今回は、その解放の働きに関わった人たちを、思慮深い人たちと表現しています。前回学んだように、このエピファネス王の支配も限定的で、このような思慮深い信仰者の働きによって、エルサレムは礼拝の自由を獲得することになります。反キリストの幻をダニエルはもう一度この11章で伝えているのです。

11章36節からのみ言葉は、もっと広い視野に立った終末に関する預言のように理解されます。反キリストが起こる。これは私たちクリスチャンがしっかりと理解をしなければなりません。この反キリストは、36節で、「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。」とあります。終末の出来事は、麗しい国エルサレムを抜きにして語る事はできません。この反キリストは、45節では、「彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。」と書かれています。よくこの聖句を見てみますと、「ついに彼の終わりが来て、」とありますので、神によって反キリストが裁かれ、彼を助けるために集まった者も一瞬にして散らされて行くのです。

私たちの生きるこの時代、イスラエルを取り巻く環境が大きく変化しています。注意深くそれらを見ながら、一つ一つの状況に左右されるのではなく、反キリストが神に戦いを挑むようなことがあっても、その結末を知って対応していきたいと思います。試練や困難は確かに信仰者に訪れます。迫害も起こります。争いがいろいろな所で起こります。キリストが語られたそれらの言葉を胸に留めながら、あなたの正しい裁きを成してくださいと、私たちは祈る者でありたいと思います。参照、マタイ24:3-14。

振り返りますが、地上での戦い、それがどんなに大変なものであったとしても、イスラエルを守る天使ミカエルがいることをダニエルは伝えています。そして反キリストもいつか神によって滅ぼされるのです。地上での困難や試練で恐れおののく信仰者ではなく、救い主に目を絶えずそそいでいく、そのような信仰者になっていきましょう。キリストは私たちの人生を受け入れ、愛してくださり、終末の時も私たちとともに生きてくださるのです。私たちの罪を終わらせ、私たちの人生を義なる者として受け入れてくださるのです。彼は確かに戻って来られます。そのイエスに目を注ぎながら、礼拝を捧げ、救いを喜び、一人一人自分らしく信仰を全うしていきたいと思うのです。

「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」

テサロニケ人への第一の手紙 5:2-10 口語訳

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