↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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①今月と来月の二回に分けて、皆さんとご一緒にヨハネの福音書の8章を学んでゆきたいと思っております。
・このヨハネ8章に記されているこの出来事は、当時の神殿の中、その境内(けいだい)で起こったことでした。
・この日、イエスさまは、朝早く、神殿で、人々にいのちのことばを語っておらましたが・・その時です。突然、数人の男たちが入って来たのです。
・彼らは、人は良き行い重んじなければならないのだ、と論じることで名の知れたパリサイ派の者たちでありました。また、その中には、律法学者と言われていた人たちもいました。
・よくみると、男たちは、一人の女の人を連れていました。そして、彼らは、人々の前に、その女性を、まるで物でも扱うかのようにして立たせ、そしてイエスさまに向かってこう言うのでした。
・「先生。この女は姦淫の現場で捕らえられました。 モーセは律法の中で、こういう女を石打にするよう、私たちに命じています。あなたは何と言われますか・・」
②これは、陰謀でした。当時の宗教指導者、とくにパリサイ人たちは、イエスキリストを葬り去る、その機会を狙っていたのです。
・ここで、もしイエスさまが、「夫でもない男とふしだらな関係をもった女であっても、その行いをせめてはいけません。」などと言えば・・旧約聖書を真っ向から否定することになります。
・その逆に、イエスさまが、もし、「旧約聖書の言う通り、このような女は、石打ちの刑にすべきです。」と言えば・・今度は、イエスさまが今まで語ってこられた、神さまのあわれみ深さ、神さまの罪の赦しのその偉大さを完全に否定することになります。
・またもし、イエスさまが、死刑執行に加担したとなれば・・ それこそ、当局に訴えるその口実になります。 この時代は、ユダヤの街は、ローマ帝国の支配下にあったからです。
・つまり、どのような答えをしても、それをきっかけに、イエスをつぶすことができる・・。
聖書学者パリサイ人たちは、そのことを狙っていたのでした。
・彼らは心の中でこう思っていたことでしょう・・「ついに、追い込んだ・・さあ、イエスよ。
答えられるものなら答えてみよ! どうなのだイエス、早く答えを言ってみよ!」
・生唾飲みながら、その答えを待っていたのは、彼らだけではありませんでした。
そこにいた人々全員がそうでありました。
③聖書記事から少し離れますが・・ このヨハネの福音書8章、この聖書箇所は、実は、キリスト教会がずっと問題にしてきた個所でした。
・カトリック教会の歴史をちょっと調べてみますと、このヨハネの福音書8章の姦淫の女の記事に対し、長い間論争があったことがわかります。そして、その論争は、なかなか決着がつかなかったのです。
・いつまで揉めていたのか、と言いますと・・実は、ローマ教皇が1897年に、教皇の名によって、「このヨハネ8章は、聖書にとどめておくべきである。」と宣言するまでつづいたのでした。 それは、何と、今からたった120年前のことです・・。
・何をそんなに長い間揉めていたのかと言いますと・・それは、教会内部に昔からあった、ある「ためらい」の為でした・・。
・そのためらい、といいますのは・・「このようなふしだらな人間に対して、はっきりと糾弾しない、というのは・・良くないのではないか・・教会は、それでいいのだろうか!・・」そういうためらいです。
・「この、男と女の秩序を乱す行為を教会が見過ごせば・・教会には道徳心がないということになり、そうなれば教会だけでなく、社会全体もダメになってゆくのではないだろうか・・」こういう意見が教会には昔から根強くあったのです。
・しかし・・長い時間は掛かったのですが・・20世紀に入る直前に、教会はようやく気が付いたのです。「この聖書記事こそ、取り除くどころか、主イエスのその愛の深さが語られている個所なのだ。今まで、教会がこの記事を聖書から覗いていたのは間違であった。」
④聖書記事に戻ります。「こういう女を石打ちの刑にするように、モーセは命じていますが・・あなたは、何と言われますか?」この質問にイエスさまはどのように答えたのでしょうか・・
・イエスさまは、なかなか口を開きません。それどころか、イエスさまは、何と、その指で、地面に何かを描きはじめたのでした。
・一方、そのすぐ横では、律法学者やパリサイ人たちが・・相変わらず大きな声で、イエスさまに問い続けていました。
・私が画家でしたら、この時の彼らの顔を想像して描きたいところです。 彼らはすごい顔をしていたのではないでしょうか・・。正義感に燃えて人を裁く、そういう人のその実に険しい顔です・・
・しかし、イエスさまは・・その彼らの顔から、ずっと目をそらしておられました。
・そうです。このとき、イエスさまは・・彼らが自らの愚かさに気づく、その<間>をお与えになっていたのです。
・ところで・・少し気になるのは、この時、イエスさまは地面にいったい何を描いておられたのかということです。
・これには聖書学者たちの間でもいろいろと意見があるようです。しかし、何を書いておられたのか、聖書は語っておりません。ですからそのことはあまり重要ではないと理解すべきです・・。
・重要なのはこのイエスさまが作られた、<間>のその意味の方です。
・イエスさまに問い続けて止めない彼らは、はたして、自らの愚かしさに気づいたのでしょうか・・
・それはわかりません。 しかし、彼らは問い続けて止めませんでした。そこで、イエスさまは、その人たちにこのように言われるのでした。
・「あなた方の中で・・罪のない者が彼女に、最初に石を投げなさい!」
⑤静まり返った中に、このイエスさまの御声が響きました。そして、その後・・不思議な静寂ができたのです。
・その不思議な静寂で、人々は、そのイエスさまの御言葉の、その意味が少しづつ見えてきたのでした。
・このイエスさまの御言葉の意味はこうです。「この女をどうするか・・ということの前に・・あなたがたは・・先ず、自分の胸に手を当てて・・・ 自分ははたしてどうなのか・・・自分も、罪人の一人ではないのか・・自分は、はたして・・人の罪をさばける資格のある者なのか・・このことを、静かに考えてみなさい・・。」
・「あなたが・・もし・・自分こそは、まったく汚れていない・・一点の曇りもない・・ 天使そのもののようだ・・だから、私こそは、・・人を裁く資格があるのだ! そう思う者がもしいたとしたら・・ その人が、最初に、この人に石を投げなさい・・・」
・皆さんなら、どうなさるでしょうか・・。「いや・・私は・・そんな汚い者ではない・・いや・・私は、まったく、汚れてなどいない・・だから、私には、このような人間に、石を投げる資格があるのだ!」と言い張って・・そして、石をお投げになるのでしょうか?
・この時はどうだったのか、と申しますと・・・・このイエスさまの言葉を聞いた人々は・・ 一瞬静かになり・・しばらくすると・・年長者たちから・・一人、また一人と・・・この場から去っていったのでした。
⑥ここでちょっと注目すべきは・・年長者たちから始めて・・と、記されていることです。
・確かに若者は・・自分は清く正しいと、思っている、というよりも、正確には「自分は清く正し人間であると思いたい・・」そう願っています。・・これが若者の特徴だと思います。
・であるからこそ・・己の汚れに気づきにくいのではないでしょうか・・。
・しかし、年配の者たちはすぐに気づいたのです。 年配の彼らには、今までの長い歩みがありました。ですから、胸に手を当ててみれば・・自分の本当の姿は、見えやすかったのだと思います・・。
・だからといって、自分の本当の姿が見えたからと言っても・・それを認めるということには・・必ずしもならない・・無意識に己を取り繕う、といいましょうか・・己を正当化しようとしてしまう・・これもまた、年配者の特徴なのだと思います。
・彼らは、「とにかく、まずいことになった・・自分は清い者だ・・だから、この女をさばける資格がある、などとはとても言えない・・ まずい・・ここは先ずは帰った方がよさそうだ・・」そう思い一人また一人とそこから消えたのでした。
・また、そこにいた若者たちもそれに連れて、結局みなそこから出て行ってしまったのです。
⑦先ほど、カトリック教会の歴史の中で、しばらく、このヨハネの福音書8章が取り除かれていたことがあったという話を致しましたが・・
・皆さんは、きょうあらためてこの聖書個所を開いて、どのようなことを思われたでしょうか・・
・私は、この聖書個所を読むたびに・・主イエス・キリスト、この方の、その赦しの大きさ・・その愛の深さに驚かされ・・その度に感激させられるのです。
・ですから、この聖書個所を取りのぞくなど、それは大間違いだったと思うのです。
それどころか、この聖書個所こそ、私たちは大切にしてゆかなければならない、そう思うのです。
・きょうから始る新しい週も、私たちは、罪赦された者らしく、人の罪を見つけては石を投げたくなる、そういう心の者ではなく・・隣人に精一杯優しく・・いや、そもそも人の罪を見つけるのではなく・・神さまのその素晴らしい愛を見つけては感動させられてゆく・・そういう一人一人として歩みたいと思います。
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