(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
今日は、カナダからの宣教師候補生が来られています。彼らの証を聞き、また彼らのために祈り、またの機会、将来どこかでお会いでき、協力できたら素晴らしいなと私は願っています。今日は、彼らと食事での交わりもありますので、私のメッセージも短く、また証が入ったものとしたいと思っています。
私は、大学生の3年生の時にアメリカに留学する機会が与えられました。ロスでの3ヶ月の学びの後で、2ヶ月ほどアメリカやカナダをバスで回りました。いろんな人たちの出会いがあり、特にクリシャンの家族にホームステイできた事は私の人生を変える大きな出来事でした。私もクリスチャンの家族を作りたい。キリスト教をもっと学んでみたい。そのような思いを持って日本に帰国しました。大学を卒業して、当時お世話になった宣教師の紹介で、シアトルにあるクリスチャンの大学で約1年間学ぶ機会が与えられました。その時、私の名前を紹介する時に日本名の彰一がなかなか発音が難しいので、私はペテロという名前をミドルネームに付けて、ペテロさんと呼んでいただこうと考えました。なぜペテロの名を私が選んだかと言いますと、ペテロが12弟子のなかでも最もリーダーシップを発揮する人物であったことと、また失敗をよくするキャラクターであったからです。しかし、ペテロは神の助けによって豊かに用いられた、そのような人物であると私は理解したからです。
ペテロの失敗、皆さんもご存知のように、イエスがとらえられ、十字架に着く前に大祭司の家の外の中庭で、ある女中に、「あなたもイエスと一緒にいましたね。」と問いかけられて、それを否定して、「何を言っているのか私にはわからない。」と答えてしまったのです(マタイ26章70節)。続いて、他の女中に問いかけられると、それを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言い、さらに、3回目には、「『そんな人は知らない。』と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。」(74節)とマタイは記録しています。本当にひどい失敗です。続いて、「そこでペテロは、『鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。』とイエスが言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」(75節)とあります。
私はあの方を知っていますよ、と答えることができたはずなのに。それなのに人を恐れて、あの人は知らないと否定したペテロの弱さがここに現れています。こんな弱さを持つペテロですが、ヨハネの福音書21章を見ますと、イエスは復活された後にペテロに会い、ペテロの心の傷をいやされたのです。見てみましょう。
ヨハネ21章15節で、「彼らが食事を済ましたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン、あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『私の子羊を飼いなさい。』」とあります。ここでペテロは、「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」とのイエスの問いに、私はあなたを愛しますと、信仰の告白をいたします。ギリシャ語では、イエスはアガペーの愛で「わたしを愛しますか。」とペテロに問いかけています。ペテロはフィレオの愛で応答します。アガペーは神の愛、無条件の愛を表しています。フィレオは、兄弟姉妹の愛です。信頼関係や尊敬に満ちた愛ですが、アガペーの愛とは異なります。フィレオの愛での応答は、自分の足りなさに気づいたペテロの信仰の表れであると私は思います。そして、イエスは、3度同じ質問を繰り返しますが、3度目のあなたは私を愛しますかとの問いかけはフィレオの愛を用いています。17節には、「ペテロは、イエスが三度、『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」とあります。ここでは、イエスはフィレオの愛でわたしを愛しますかと問いかけたのです。大きな失敗を経験したペテロは、イエスを無条件の愛で愛することはできなくても、あなたを信頼して、あなたにより頼んで、精一杯あなたを愛して従っていきたいですとの思いを伝えたのです。ペテロの心の動きをヨハネはここで、愛を表すフィレオとアガペーの言葉を用いてよく描いています。この会話によって、ペテロは自分が再度イエスに受け入れられた経験をし、心の癒しを経験するのです。
私も不完全な人間ですが、精一杯神様を愛していきたい。イエスの助けによって、私なりの人生を歩んでいきたい。そのような願いを持って、ペテロの名を選んだことを覚えています。しばらくの間、アメリカでは、私はミドルネームでペテロさんって呼ばれたことは、今では良き思い出です。あれから50年近くたつ今でも、不完全な私を無条件に愛してくださるイエスにより頼んで歩んでいきたい、そのような思いは変わりません。
続いてマタイ16章15-18節をお読みします。
「そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」とあります。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てようとイエスは語っておられます。わたしは、わたしの教会を建てようとありますので、教会はイエス・キリストに属する共同体です。ペテロは深く考えないで、わたしをだれと言うかとのキリストの問いに、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えたと思うのです。この信仰告白の上に、キリストはご自身の教会を建て上げてくださるのです。イエスは、不完全なペテロを愛して、大いに用いてくださったのです。
私たちはたとえ不完全な者でも、神は私たちを用いてくださる。教会の働きのために用いてくださる、その信仰を持っていきたいです。皆さんも、神は私の人生にこんな奇跡をなさった、そのような体験がきっとあるのではないでしょうか。お祈りいたします。



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