「強くあれ、仕事に取りかかれ」 ハガイ書2章4節

Pastor Ino

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今日もハガイ書を取り上げます。前回は、「あなた方の現状をよく考えよ」とのみ言葉を取り上げました。ハガイは、民にチャレンジします。宮を建てなさい。自分たちの現状をよく考えて、失敗からもよく学んで、神を信頼して、一歩踏み出そうではないかと。この神様からのチャレンジ、それが前回のメッセージの内容でした。

今日は、ハガイ書からの2回目のメッセージです。前回ふれましたが、神の大きな奇跡を体験し、エルサレムに戻って来ることができたイスラエルの民が神の家を再建することをあきらめて、その使命を忘れてしまったのです。しかし、そのためにハガイは現状をよく考えて、自分たちの使命をもう一度理解して、神殿を再建し、神を礼拝する民になろうと語りかけたのです。宮の再建をやめてしまった18年間、本当に長い年月ですが、神様無しの人生の虚しさにもう一度気づき、民は神殿の再建に取り掛かります。今回は2章を取り上げますが、今日は、「強くあれ、仕事に取りかかれ、わたしがあなたがたとともにいるからだ。」との4節のみ言葉を取り上げます。そして、続いて、「わたしの霊があなたがたの間で働いている、恐れるな。」と5節には続いています。

今日のメッセージを通して、私たちも神を礼拝する民としての人生の歩みを確立しよう。様々な攻撃を受けることがあっても、強く、恐れずに神の仕事に取り掛かかろう。神が共にいてくださるから。そのようなチャレンジを受け取って行きたいと願っています。みなさん、神の恵みを豊に経験し、礼拝者としての歩みを全うしていこうではありませんか。

それでは、ハガイ書2章の内容に入ります。18年経って、彼らは神殿の再建に取り掛かります。でも、彼らは、自分たちの作り上げる宮は、最初の宮よりも劣っている。そのような不安な思いを持っていたのです。それが2章3節の後半の言葉に表れています。「あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。」と書かれています。ソロモン王の時代に建てられた宮と比べて、ある者は自分たちが再建する宮は無きに等しいと嘆くのです。しかし、以前の栄光に輝く宮はもう存在しないのです。この栄光に輝く宮は、お年寄りの頭の中に残っている記憶かもしれませんが、過去を懐かしがっても現状は何もよくならないのです。そのような民に、4節で、「強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。―万軍の主の御告げ。-」と、神は語りかけるのです。

「あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。」との表現は、2番目には民の経済的な問題をも含んでいます。彼らは、自分たちの経済を心配するのです。そうでしょう。宮を作り始めたけれどもお金がない、みすぼらしいものしか作れないかもしれない。そんな不安です。神様はそんな彼らに語りかけます。2章8節で、「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。―万軍の主の御告げ。-」と。そして、9節では、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。」とあります。考えてみますと、私たちも決してお金持ちの集まりではありません。しかし、忠実に金曜日や日曜日に集まって神を礼拝しています。そして感謝の思いを持って献金を捧げる一人一人だと思います。私は、神様は私たちの礼拝を受け入れてくださり、私たちの経済も豊かに祝福してくださっていると信じています。神様は私たちに、こう言われるのです。銀も金も私のもの、私は全てを創造された神であると。私は、全世界を揺り動かし、この宮を栄光で満たすことのできる方ですと。皆さん、神の宮には、いつの日かすべての国々の宝物がもたらされるようになるのです。今は小さな教会でも、大きな、世界的な視点を持って教会を見たいと願います。良き管理者として、与えられている時間も賜物も、そして私たちの資産もよく管理して、その可能性の大きさに気づいて生きる者でありたいです。

ここでは、「強くあれ、仕事に取りかかれ、わたしがあなたがたとともにいるからだ。」と、ハガイは神の言葉を民に語りかけています。しかし、私たちは今、旧約の神殿を作り上げているのではありません。神は、すでに新たな神殿、新たな礼拝を、イエスを通して確立しておられるのです。そのため、イエスが私たちのために苦しまれ、十字架についてくださったのです。生きることがどんなに困難か、どんなに人が弱い存在か、そのことをキリストはよく知っておられて、私たちと共に生きてくださるのです。

さて、来週はイースターです。イースターの前の金曜日は、イエスの十字架を覚える金曜日です。皆さん、手と両足に釘を打たれ、私たちの罪を背負い、苦しまれ、罪の赦しを祈られたイエスがおられるのです。イエスは墓におさめられ、よみに下り、イエス以前の旧約の民に、預言は成就したことを伝えたのです。新しい時代が来たことをキリストは語られて、日曜の朝によみがえられたのです。そのよみがえりをお祝いするのがイースターです。マタイ11章12節には、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。」と書かれています。激しく攻められているとは、どのような意味でしょうか。イエスがエルサレムに入場したその時には、群衆が、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」(マタイ21章9節)と叫んだのです。しかし、同じ民が、数日後には、イエスを十字架につけろと叫ぶようになるのです。何と言う心変わりでしょう。人の心は不確実性に満ちています。天の御国は激しく攻められたのです。今でもサタンが地上で暴れています。しかし、神は人類を救おうと決断され、御子を十字架に着けることを許されたのです。イエスは十字架の苦しみを通ります。それだけでなく、父なる神との断絶を味わうのです。私たちの罪をその身に負うとは、神の裁きを受けることです。マタイ27章45節には、「12時から、全地が暗くなって、3時まで続いた。」とあります。暗闇は、父なる神とイエスとの断絶をよく表していると私は思います。そして、キリストは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫んで息を引き取られたのです(27章46節)。天の御国は激しく攻められたのです。しかし、神のご計画は変わりません。愛する御子を十字架につけて、人類の罪を背負わせ、人に赦しを与える。そして信じる者に永遠の命を与える。神のご計画は変わらずに進んでいます。

神の大きな選びのご計画があり、私たちは今日も生かされています。詩篇23篇 6節には、「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」とあります。神は、あなたを選び、あなたの罪を赦し、あなたと共に永遠を生きようとされたのです。私はその福音を信じています。そして毎日イエスに、あなたの十字架の恵みを感謝しますと祈ります。イエス様、あなたと共に生きたいです。私の人生を通して、あなたに栄光をお返しできるように導いてくださいと祈る者です。

「強くあれ、仕事に取りかかれ、わたしがあなたがたとともにいるからだ。」と、ハガイは私たちにも語りかけていると思います。しっかりと立ち上がって、イエスを礼拝する歩みを確立してまいりましょう。2章9節には、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。」と書かれています。もう私たちは旧約の礼拝に戻る必要はないのです。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。」とのみ言葉を受け入れてまいりましょう。信仰者が共に集まり、賛美を捧げ、み言葉に耳を傾ける時に、そのただ中にイエスがおられるのです。罪の赦しを感謝し、くちびるの賛美をささげ、救いを喜び、神の恵みを喜ぶ者であり続けたいと願います。旧約の時代にはない、生きた礼拝が今起こっているのです。

ハガイ書2章18,19節にはこうあります。「あなたがたはこの日より後、すなわち、九月二十四日よりの事を思うがよい。また主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。 種はなお、納屋にあるか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリブの木もまだ実を結ばない。しかし、わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与える。」と。そう、土台を据えて、礼拝を捧げながら、神の時を静かに待つのです。実を結ぶには時間がかかるのです。恵みを与えるとのみ言葉で、この書は終わっています。まだ、実は結ばなくても、確かに種をまいておこうではありませんか。信仰に強く立ち、仕事に取りかかろうではありませんか。信仰の目を持って、神の祝福を持ち望んで生きる者でありたいです。

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