「わたしの霊によって」ゼカリヤ書4章6節

Pastor Ino

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今日はゼカリヤ書からの3回目のメッセージです。今日取り上げるテーマはゼカリヤが見た幻の1つ、燭台の幻です。それは彼らが作り上げる神の宮の栄光の姿であり、また同時に新約の時代の教会の姿を映しているともいえます。「あなたがたは、世の光である。」と語られたイエスの言葉を改めて覚えていきたいです。私たちの教会も神の栄光を、また神の希望をこのように照らし出していきたいと願います。そのような幻をゼカリヤが見て、励まされ、神殿の再建に取り組むこととなります。それでは、ゼカリヤ書から今まで見てきた内容を簡単に振り返ってみます。

神の神殿、その再建にあたるようにと2人のリーダーが選ばれました。大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルです。1章3節に、「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。」とあります。悔い改めの招きが最初に書かれています。それは、神ご自身が悔い改めた者と共におられるからです。

彼が見た幻の1番目は、4頭の馬に乗る者の姿です。この者たちは、世界を見回して、神の時が来たことを悟るのです。この幻を通して、今こそエルサレムの再建の時であることが明らかにされます。同時に今まで力を誇ってきた民が神の裁きにあうことになります。

2番目の幻は、4つの角と4人の職人の幻です。この地方を支配してきた偉大な国、アッシリアもバビロンもこの4人の職人によって、切り取られ、滅ぼされる、そのような幻です。今の世界のリーダーも謙遜を学んでほしいと願います。どんなに権力を誇っても、いつか神の裁きに会う時が来るからです。そのことをこの幻は明らかにします。

3番目の幻は、測り縄の幻です。2章の1節です。この測り縄の幻を通して、実は城壁を再建されるのは神ご自身であり、神ご自身が、火の城壁となると約束されるのです。2章5節には、そして私がその中の栄光となるとの約束が語られています。彼らが再建するエルサレムは神の住まいとなり、神ご自身がその中に住まわれるのです。2章13節には、「すべて肉なる者よ、主の前に静まれ。主はその聖なるすみかから立ちあがられたからである。」とあります。

そして3章に入りますと、大祭司の衣服が4番目の幻としてでてきます。汚れた服を着た大祭司ヨシュアは、その不義が除かれ礼服を着せられるのです。神はここで、民の不義が除かれることと、救い主イエスが生まれることを預言します。同じように、私たちもキリストの十字架の贖いの業によって、罪の赦しが与えられ、神の民にされていくのです。3章9節には、「そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。」と書かれています。

今日は4章に入りますが、この中には全体が金でできた燭台の幻が書かれています。これは、5番目の幻です。それではその内容を見てみましょう。この燭台には、7つのともしび皿があります。そして、そのともしび皿にはそれぞれ7つの管がついています。ですから、7 × 7で 49の燈心があるのです。49の明かりがともるのです。この金の燭台は、本当に光輝く燭台です。そして、それは2本のオリーブの木の間にあります。3節には、「また燭台のかたわらに、オリーブの木が二本あって、一本は油をいれる器の右にあり、一本はその左にあります。」とあります。実は光を保つ油も神が備えてくださるのです。油を提供する、それがこのオリーブの木の役割です。この燭台の光も神が備えてくださっているのです。

そして、今日のテーマですが、4章6節には、すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」と書かれています。神の宮の再建、これは人の技ではありません。神ご自身が先頭になって新たな宮を再建されるのです。人の力や、また民の力、それらの能力によってこの宮の再建がなされるのではないのです。わたしの霊によって、と神は語りかけています。私たちの教会も同じです。確かにリーダーが立たされ、役員が選ばれ、プログラムが作られ、礼拝が継続されていきますが、教会の働きは神の力によって、聖霊の導きによってなされているのです。先週はペンテコステの礼拝でした。このペンテコステの日に教会が生まれたのです。教会の誕生は、聖霊の業である、そのことを毎年このペンテコステ礼拝で私たちは再認識するのです。聖霊の働きによって、民が悔い改めへと導かれ、キリストの赦しを受け入れ、教会が生み出されて行ったのです。ゼカリヤは心配や不安の中にある民に向かって、またリーダーに向かって、この神殿の再建は、権力によらず、能力によらず、私の霊によってと語りかけています。

さらに、この燭台は神殿から輝き出る神の栄光であると理解できます。これは人の業ではないのです。神の霊によって、神殿は輝きだすのです。私たちは神のみ言葉を信じます。神のみ言葉には命があります。私たちの人生を変える神の力です。ですから、神のみ言葉を私たちはのべ伝えます。この神のみ言葉は、私たちを世の光だと宣言されます。「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」とマタイ5章14節にはあります。一人一人たとえ弱い存在でも、光として生かされるのです。それも個々の力ではなく、ただ聖霊の働きによって達成されるのです。

そして7節には、「大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう。」と書かれています。大いなる山とは、大きな困難を表しています。私たちの人生にも大きな困難が立ちはだかることがあります。ゼルバベルは私たち以上に大きな困難に出会ったことでしょう。しかし、どんな困難が立ちはだかっても、神の助けによって平地となるのです。いつか困難は消え去るのです。そして恵みあれ、恵みあれと叫びながら、神殿を再建していくのです。この幻を通して、私たちも問題を見るのではなく、神の恵みを見て歩み続ける者でありたいと思います。9節には、「ゼルバベルの手はこの宮の礎をすえた。彼の手はこれを完成する。その時あなたがたは万軍の主が、わたしをあなたがたにつかわされたことを知る。」とあります。必ず聖霊の助けによって宮は完成していきます。

2本のオリーブの木、この幻は、2人のリーダーの姿を表していると思います。大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルです。彼らが神の前に勇敢に、また謙遜に歩み、民のリーダーとしての業をなすのです。もう一度振り返ってみます。彼らに提供する油も神が備えてくださるのです。彼らは、「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」とのみ言葉に励まされて神の働きをなすのです。神の神殿の再建は人の業ではありません。神の業です。同じように教会を立て上げていく、様々な教会の働きも、これも神の働きです。そして聖霊により頼んで、私たちは神の助けをいただいて歩むのです。

教会について教えているイエスの言葉を取り上げてみます。マタイ16章15-18節をお読みします。
「そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」とあります。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てようとイエスは語っておられます。キリストご自身が、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」との私たちの信仰告白の上に、ご自身の教会を建て上げてくださる。そのことに気づいていきたいです。

神の栄光を現すことができる良き管とし、一人一人歩んでまいりましょう。先週は、家内と沖縄を訪問しました。2019年10月に首里城の正殿が燃えてしまいました。今は再建の途中です。朝早く散歩に出て、首里城の丘の公園でマタイの福音書5章の山上の垂訓の箇所読んで、沖縄の平和のために、教会の祝福のために、また世界の指導者のために祈りました。そこには、「平和を作り出すものは幸いである。」と書かれています。どうかこの箇所に世界のリーダーが気づくようにと祈りました。クリスチャンはどこででも祈ることができます。本当に幸いであると思います。教会が光を放つ存在であるように、また私たちも神の前に通り良き管として用いられようにと願います。祈りには力があります。神の力をこの地上にもたらすことができます。信仰者が2人、3人と集まって礼拝する、その中にイエス様がおられるのです。全てのキリスト教会にも神の力が注がれています。栄光が教会から輝きだすのです。皆さん、希望をもってクリスチャンの人生を全うして参りましょう。神の助けによって、一人一人、世界の光として歩むことができるのですから。

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