「私たちもあなたがたと一緒に行きたい。」ゼカリヤ書8章23節

Pastor Ino

(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
皆さんおはようございます。今日は、ゼカリヤ書8章に入ります。簡単に、今まで学んだ内容を振り返ってみます。ゼカリヤは、神殿の再建時に、それも土台がすえられた頃に預言を始めます。これから造り上げるこの神殿、その建物の持つ意味、それを霊的な視点から説明しようとしています。この神殿の再建を通して、新たに国づくりをしようとしているイスラエルの民のために、まず8つの幻を示します。それらを通して、神はイスラエルの民にいくつもの霊的な洞察を与えようとしています。まず、神はすべての国民を裁くお方であること。罪を犯すならば、同じようにイスラエルの民も裁かれること。しかし御言葉に従い、神を信頼して歩もうとする民には、神は大きな祝福を与えられること。彼らにメシアが与えられ、サタンの支配から解放されること、などです。そのような内容が幻を通して明らかにされています。加えて、大祭司ヨシュアの冠を通して、メシアの働きが明らかにされます。メシアこそ私たちの王であり、私たちの大祭司であることが明らかに示されます。

前回は7章を取り上げましたが、7章と8章の大きなテーマはエルサレムの回復です。7章では、真の断食を取り上げています。神の御心を求めて断食をすること、そのように神の御心にそって生きようと願った断食こそ意味のあるものです。新たな国造りを目指した民は、断食を通して高い倫理性が与えられ、正しい裁きし、誠実を尽くし、哀れみ合い、貧しい者たちを大切にする。そしてお互いに愛し合う民になる。それらの倫理性のある生き方を目指すようにと7章では民にチャレンジしています。

それでは8章は、彼らがこれから創り上げようとする新たなイスラエルの姿、神の祝福が注がれるその姿を生き生きと表しています。8章の特色ですが。「万軍の主はこう仰せられる。」との表現で、10の祝福を述べていることです。今日は全てを取り上げることはできませんが、神が約束する祝福の姿、信仰者への祝福の姿をいくつか学び、私たちもメシアを信じる契約の民として、このような祝福が与えられていることを喜びたいと願います。

万軍の主はこう仰せられる。その第一は、8章の2節ですが、神は、「シオンをねたむほど激しく愛しておられる」と言うことです。私たち信仰者を神は本当に愛しておられるのです。ねたみは激しい憤りを生みます。それほどまでに、シオンは神に深く愛されているのです。

2番目に、3節ですが、「神はエルサレムのだだ中に住もう。」との約束です。「エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」とあります。私たち信仰者の群れの中に、神は共に住んでくださるとの約束です。新約聖書は、キリストは私たちが集まるその中におられると約束しています。不十分の私たちでも、神が絶えず目を注ぎ、共に生きたいと願っておられることに気づきたいです。

3番目には、「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女、・・・遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」との約束です。4節、5節です。それは平和な町の姿をよく表しています。町に争いがなくなり、平和が支配するので、年老いた者も子供たちも安心して過ごすことができる場所となると言う約束です。

続いて、神の約束は、東と西、そこに散らされ神の民をもう一度集めてくださることです。そして彼らは神の民となるのです。8章7節と8節です。「万軍の主は、こう仰せられる、『見よ、わが民を東の国から、また西の国から救い出し、 彼らを連れてきて、エルサレムに住まわせ、彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となって、共に真実と正義とをもって立つ。』」とあります。東と西の国とは、バビロンとエジプトの地を指します。多くの民が捕囚の地から解放されて、エルサレムに帰り、神の民となって、神の正義を行う民となっていくのです。

9節から13節には、新たな約束が書かれています。その内容は、以下のようです。あなたがたは、神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちから、これらの言葉を聞いている。今までは本来得るべき報酬が得られなかった。また、また平安はなかったが、新な時が訪れる。収穫の時、報酬が豊に与えられる時、祝福の時が訪れるとの約束です。12節、13節を読んでみます。「そこには、平和と繁栄との種がまかれるからである。すなわちぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を与える。わたしはこの民の残れる者に、これをことごとく与える。 ユダの家およびイスラエルの家よ、あなたがたが、国々の民の中に、のろいとなっていたように、わたしはあなたがたを救って祝福とする。恐れてはならない。あなたがたの手を強くせよ。」とあります。豊かな収穫が約束されています。よく考えると、豊かな収穫には水や、また土地や、天候などいくつかの要素が関わっています。それらが回復され、神の守りの中で、豊かな実を結び、豊かな産物を出す地域に変わっていくとの約束です。これも神の祝福の姿でしょう。祝福、それは大地の祝福だけではなく、人に注がれる祝福でもあるのです。そしてあなたを救って、祝福とならせる、と13節にはあります。

私はこれらの約束を、喜びと感謝を持って想像します。新たなエルサレムは、このような約束に満ちた場所となるのです。これらの箇所を新約の視点から見るならば、私たちにも同じような約束が与えられていることに気づきます。私たちにはメシアであるイエス・キリストが共に歩んでくださるのです。キリストの十字架を通して、私たちは救われ、神の民とされたのです。神は私たちを本当に愛しておられ、私たちと共に歩んでくださるのです。私たちは正しい判断をする知恵を、聖書から、また聖霊様から与えられています。神のご計画が、信仰者を通してこの世に表れています。そして信仰者を通して、自然界までも回復して行くのです。今はその途上でも、私たちはその幻を持って生きることができます。イエス・キリストは、私たちの救い主、私たちの大祭司です。もう一度戻ってこられ、新しい天と新しい地を私たちに備えてくださるのです。終末の日に新しいエルサレムが、この地上に回復するのです。

この8章はこのような言葉で終わっています。21、22節には、「『われわれは、ただちに行って、主の恵みを請い、万軍の主に呼び求めよう』と言うと、『わたしも行こう』と言う。 多くの民および強い国民はエルサレムに来て、万軍の主を求め、主の恵みを請う。」と書かれています。いつの日か、終末の時、このみ言葉が実現します。あらゆる国の民が、一人の信仰者を取り囲んで、そのすそをつかんで、「私たちもあなたと一緒に行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。」と言うのです。皆さん、私たちの信仰が全世界に広がるのです。そして、他の民族もあなたの祝福に預かりたい、と求めてくるのです。新たな神殿で、真実な礼拝がなされる時にこのような奇跡が起こるのです。

皆さん、これらのみ言葉が終末の時、成就すると私は信じています。私たちは、天国の希望を持って生きるクリスチャンです。現在、多くの方が不安の中に生きています。私たちの礼拝者としての歩みを通して、私も礼拝者になりたい。天国の希望を持ちたいとの思いが与えられる隣人が起こされるのです。私たちはこのような幻を持って、もう一度、神の前に誠実に歩んでいきたいと願います。

16節、17節を読んでみます。「あなたがたのなすべき事はこれである。あなたがたは互に真実を語り、またあなたがたの門で、真実と平和のさばきとを、行わなければならない。 あなたがたは、互に人を害することを、心に図ってはならない。偽りの誓いを好んではならない。わたしはこれらの事を憎むからであると、主は言われる。」とあります。互に真実を語ること、互いに愛し合う民になること、神の助けをいただいて、目指してまいりましょう。

皆さん、御言葉を信じて、御言葉に従って生きていこうではありませんか。神を愛する人生、また隣人を愛する人生を全うしていこうではありませんか。祝福を流す者にならせていただこうではありませんか。私もあなたのようになりたいと願う多くの者たちが起こされていくとの幻を信じて参りましょう。

最後に、ゼカリヤ書4章6節の言葉を読んで終わります。「すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」とあります。これらは、人の業ではなく、神の業です。謙遜にまた大胆に、神と共に人生を歩んでまいりましょう。

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