「わたしもあなたがたに帰る。」ゼカリヤ書1章3節

Pastor Ino
[メッセージの音声は礼拝後に載せる予定です。]

今日はゼカリヤ書から2回目のメッセージです。前回は若枝(ゼカリヤ書3:8)との表現で、イエス・キリストの誕生が預言されていることに触れました。そして大祭司ヨシュアの不義が除かれたように、私たちもイエス・キリストの十字架の働きによって罪の赦しが与えられるのです。加えて、神は大祭司ヨシュアを通して、私たちに救い主イエス・キリストの姿を啓示しています。何度かゼカリヤ書から学びますので、そのようなことにも少しずつ触れていきたいと思っています。

ゼカリヤ書は、前回学んだハガイ書と同じ時代に書かれました。ゼカリヤの方が数か月遅れて預言しています。そして大きなテーマは、ハガイ書同様に神殿の再建です。ハガイの呼びかけに応じて民は再建の業にとりかかり、神殿の土台が据えられました。その時期にゼカリヤは預言を始めています。ハガイと違う点は、神殿の本質やその内容に踏みこんでいることです。そしてそれは、現代の教会の本質につながっていきます。

今日は1章と2章を取り上げます。1章の初めに、ゼカリヤは過去を振り返って、悔い改めて神に立ち返るように民にチャレンジします。そして、その後で民は神殿を再建するのです。神ご自身は、悔い改めた者と共におられるのです。神殿の再建だけにゼカリヤの預言はとどまりません。捕囚から戻ってきた民が神の民になっていく、神との深い交わりが与えられる、そのような新たな視点が加わっています。私たちも教会に集っていますが、教会の中にイエス・キリストがご臨在されます。教会はキリストの体です。キリストによって救われた者たちが、教会の一員として、キリストの体を立ち上げていくのです。それは新約聖書のメッセージです。その点にも少し触れてみます。ではゼカリヤ書1章に入りましょう。

1章2節では、主はあなた方の先祖たちを激しく怒られたとあります。そして3節で、「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。」と語りかけます。それは、過去を振り返り、悔い改めて歩むようにとのチャレンジです。わたしもあなたがたに帰るとは、何と希望のメッセージでしょうか。神が悔い改めた民と共におられるのとの約束です。4節には、「あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちは、彼らにむかって叫んで言った、『万軍の主はこう仰せられる、悪い道を離れ、悪いおこないを捨てて帰れ』と。しかし彼らは聞きいれず、耳をわたしに傾けなかったと主は言われる。」とあります。

あなたがたの先祖たちのようであってはならない。なぜならば彼らは聞きいれず、耳を神に傾けなかったからです。彼らは、悔い改めを怠ったのです。神への悔い改めが礼拝の前にくるのです。その結果、神の赦しが与えられ、神が共にいてくださるとの約束に続きます。神が共にいてくださる、この約束の方が神殿の再建よりも尊く、価値があると私は思います。神殿再建にあたって、心の伴わない業を神は求めてはおられません。かりに、神殿を再建できたとしても、そこに神が共におられなければ、それは単なる建物でしかありません。悔い改めのチャレンジがまずなされます。

そして、ゼカリヤは8つの幻を通して神の御心を民に伝えようとします。最初の幻は1章8節です。4頭の馬とそれに乗る者たちの幻です。「わたしは夜、見ていると、ひとりの人が赤馬に乗って、谷間にあるミルトスの木の中に立ち、その後に赤馬、栗毛の馬、白馬がいた。」とあります。この者たちは、世界に出て行って、地をめぐって、そして様々な国民の姿を見るのです。そして問いかけます。

12節です。「すると主の使は言った、『万軍の主よ、あなたは、いつまでエルサレムとユダの町々とを、あわれんで下さらないのですか。あなたはお怒りになって、すでに七十年になりました』。」と。神の答えは14節です。「そこで、わたしと語る天の使は言った、『あなたは呼ばわって言いなさい。万軍の主はこう仰せられます、わたしはエルサレムのため、シオンのために、大いなるねたみを起し、」とあります。

わたしはエルサレムをねたむほど激しく愛した(新改訳)とは、すばらしい表現です。そして16節には、「それゆえ、主はこう仰せられます、わたしはあわれみをもってエルサレムに帰る。わたしの家はその中に建てられ、測りなわはエルサレムに張られると、万軍の主は仰せられます。」とあります。

わたしはあわれみをもってエルサレムに帰ると神は語りかけ、主の宮が再建されるのです。捕囚とされて70年がたち、帰国が許されたのです。今こそその時です。主が戻って来られ、神の宮がエルサレムに再建されるのです。最初の幻を通して、再建の時が来たことが明らかにされます。もう一度、主はエルサレムを選び、シオンを慰める時が来たと、17節にはあるのです。

2番目の幻は18節からです。そこには、4つの角とあります。これはユダヤとイスラエルとエルサレムとを散らした角とありますので、今までイスラエルの民を攻撃し捕囚としてきたアッシリアやバビロンを直接的には指しています。角とは力を表す言葉です。4は、広がりを表していると理解できます。この時、今は平穏に暮らしているかつての暴君の国々、支配者の国々を神は裁かれるのです。

それが20節、21節です。「その時、主は四人の鍛冶をわたしに示された。 わたしが「これらは何をするために来たのですか」と言うと、彼は答えた、「これらの角はユダを散らして、人にその頭をあげさせなかったものですが、この四人の者が来たのは彼らをおどし、かのユダの地にむかって角をあげ、これを散らした国々の民の角を投げうつためです。」とあります。四人の鍛冶(職人)が4つの角を切り落とすのです。そして、神の愛がもう一度イスラエルの民に注がれ、彼らは解放され、神の民となっていくのです。神の愛に戻るその時が来たのです。そのことを力強くゼカリヤは預言します。

2章1節には3番目の幻が出て参ります。それは、測り縄の幻です。ある者がこの測り縄で、エルサレムをはかろうとしているのです。この幻を通して、結果的に神ご自身がエルサレムを取り巻く火の城壁となるとの啓示を与えます。この街の栄光は、神ご自身であるとの主の啓示を受けます。そして、散らされた民にシオンに戻ってくるようにと告げるのです。実は、まだバビロンにとどまっている者たちがいたのです。彼らにシオンに逃げて来なさい。神ご自身がその街を守ってくださるのだからと語りかけています。2章6と7節を読んでみます。「主は仰せられる、さあ、北の地から逃げて来なさい。わたしはあなたがたを、天の四方の風のように散らしたからである。 さあ、バビロンの娘と共にいる者よ、シオンにのがれなさい。」

続く8節には、「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。」とあります。瞳のように尊い存在、繊細な存在。それが選ばれたイスラエルだと神は語りかけます。さらに10節には、「主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。」とあります。

悔い改める民に向かって、あなたは、ひとみのような存在だと語りかけています。私が城壁となり、あなたがたを守るのだよと。そして、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである、と語られるのです。

さあ、彼らは神殿の土台をすえました。神殿の再建に取り掛かっています。神の愛に答える、その業の一つが神殿の再建です。私たちも今教会に集い、心から神を礼拝しています。私たちは不完全な者であっても、キリストを信じて罪の赦しをいただき、感謝の心を持って集っています。罪赦され、新たにされた感謝です。私たちは、神の前でひとみのような存在です。私たちは、「シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。」との招きをいただいている者たちです。イエス様は、礼拝者の集う群れの中に臨在されるのです。悔い改めと、喜びの心をもって精一杯、主を礼拝していこうではありませんか。私たちは神の民、神が私たちと共に住んでくださっているのですから。

キリストを信じる者たちに与えられている約束をいくつか読んで終わります。

「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」 エペソ人への手紙 1:23 口語訳

「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。」

マタイによる福音書 18:20 口語訳

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