(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
今回は、ゼカリヤ書3章4節からのメッセージです。神殿を再建し、礼拝を捧げる民を導くリーダーの一人、大祭司ヨシュアに対して語られた主の言葉です。
本題に入る前に、ハガイ書からのメッセージを振り返ります。今日のテーマは、汚れです。汚れた者が聖なる神を礼拝する、そんなことが許されるのか、そのような内容を含んでいます。結論から言いますと、神は汚れた者をそのまま受け入れてくださり、その汚れをきよめてくださるお方であるということです。ハガイは、汚れを認識して礼拝を捧げる民の姿を描いています。捕囚から戻って来た民、汚れに触れ、汚れた民となってしまったとしても、不思議ではありません。大切なことは、そのことに気づき、神に信仰を持って従い、新たな歩みをしようと決断することです。今回、カギとなる言葉は、あなた方は今日から後のことをよく考えよ、との15節、18節にある言葉です。神殿礼拝とはどのような礼拝でしょう?それは自分たち罪人のために、その赦しを求めて動物を捧げる礼拝です。動物の犠牲によって、神の赦しをいただき、神の前に立つことができるのです。そして、祈り、もう一度、御言葉を実践する民になろう。そのような願いを込めた礼拝です。私たち新約の時代の礼拝とは内容が違っていると思います。それは、私たちは、キリストこそが十字架で罪の赦しを与えてくださった方であると信じているからです。ハガイは神殿を再建して、神を礼拝し、罪の赦しをいただいて歩もう。その時、そのような人生に、神の祝福が注がる。これが彼のメッセージです。しかし、今日のゼカリヤ書の箇所は、その中にキリストが啓示され、キリストは清めを与えてくださる方であることを明らかにしています。
前回学んだハガイ書から、神殿の再建に対しての励ましのメッセージを見てみましょう。前回触れましたが、再度読んでみます。
ハガイ2章4節、「強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。―万軍の主の御告げ。-」
2章5節、「わたしの霊があなたがたの間で働いている、恐れるな。」
2章9節、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。」
15節、「今、あなたがたはこの日から、後の事を思うがよい。主の宮で石の上に石が積まれなかった前、あなたがたは、どんなであったか。」(口語訳)
ところが、ハガイ2章11から14節には、
「万軍の主はこう言われる、律法について祭司たちに尋ねて言え、 『人がその衣服のすそで聖なる肉を運んで行き、そのすそがもし、パンまたはあつもの、または酒、または油、またはどんな食物にでもさわったなら、それらは聖なるものとなるか』と」。祭司たちは「ならない」と答えた。 ハガイはまた言った、「もし、死体によって汚れた人が、これらの一つにさわったなら、それは汚れるか」。祭司たちは「汚れる」と答えた。 そこで、ハガイは言った、「主は言われる、この民も、この国も、わたしの前では、そのようである。またその手のわざもそのようである。その所で彼らのささげるものは、汚れたものである。」(口語訳)とあります。
驚くべき内容です。彼らの手で作ったすべてのものもそのようだ。彼らがそこに捧げるもの、それは汚れているとあるのです。汚れた認識を持つことを神はイスラエルの民に求めています。その上で、今日から後のことをよく考えるのです。過去のバビロンでの生活はどのようなものであったか。礼拝なしの人生はどんなにさみしいものであったか。神に受け入れられ、神の民になって行く、それは神を礼拝し、罪の赦しをいただく歩みであることを認識するのです。神の赦しをいただき、恵みを知り、モーセの十戒を守る民になる、そのような文脈で理解するべきだと思います。神殿の再建は、どのような祝福を民にもたらすか、彼らは考え、希望を持つのです。
ハガイ書2章18,19節にはこうあります。「あなたがたはこの日より後、すなわち、九月二十四日よりの事を思うがよい。また主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。 種はなお、納屋にあるか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリブの木もまだ実を結ばない。しかし、わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与える。」(口語訳)と。そう、土台を据えて、礼拝を捧げる民となることを決断し、その希望を持ち、再建の働きを始めるのです。そして、将来に目を向けて、神の時を静かに待つのです。礼拝を捧げる者には、神の恵み、祝福が必ず来るのです。
ハガイ書 2章23節には、「万軍の主は言われる、シャルテルの子、わがしもべゼルバベルよ、主は言われる、その日、わたしはあなたを立て、あなたを印章のようにする。わたしはあなたを選んだからであると、万軍の主は言われる。」(口語訳)とあります。神は、この神殿の再建の目的のために、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルを選ばれたのです。目標の達成には、リーダーと、同じ使命を持つ民が必要です。
それでは、今日はそれだけではなく、ハガイ書と同じ時代に書かれたゼカリヤ書に入ります。
ゼカリヤ書3章1節から5節を読んでみます。
「時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。 主はサタンに言われた、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」。 ヨシュアは汚れた衣を着て、み使の前に立っていたが、 み使は自分の前に立っている者どもに言った、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。 わたしは言った、「清い帽子を頭にかぶらせなさい」。そこで清い帽子を頭にかぶらせ、衣を彼に着せた。主の使はかたわらに立っていた。」(口語訳)
その内容を整理します。サタンはヨシュアを訴えます。ヨシュアはけがれていると。燃えさしとは、バビロン捕囚から何とか戻って来ることができた、民の姿をよく表す言葉です。何とか、厳しい経験をして、戻って来ることができたのです。それなら、彼の衣はけがれていても当然です。主は言われるのです。「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。そして「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう。」と。また、清い帽子を頭にかぶらせなさいと。
みなさん、これは神の働きです。清めの働きは神の働きです。そして続きます。7節で、「万軍の主は、こう仰せられる、あなたがもし、わたしの道に歩み、わたしの務を守るならば、わたしの家をつかさどり、わたしの庭を守ることができる。わたしはまた、ここに立っている者どもの中に行き来することを得させる。」ここに立っている者どもの中に行き来するとは、礼拝者として、神の前に立つことができるとの意です。そして、ヨシュアに神の道に歩むようにと命じるのです。
8節と9節には、「大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前にすわっている同僚たちも聞きなさい。彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう。 万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前にわたしが置いた石の上に、すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に、わたしはみずから文字を彫刻する。そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。」とあります。ここで、しもべなる枝とは、イエス・キリストを指し示す言葉です。ゼカリヤは主イエスの働きの一端を預言します。神殿で動物を犠牲としてささげる礼拝から、イエスによる罪の贖いを感謝する礼拝が起こることを預言しているのです。
皆さん、ハガイ2章9節、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。」そして15節、「今、あなたがたはこの日から、後の事を思うがよい。」とのみ言葉を真摯に受け取ってまいりましょう。今は神殿での礼拝は終わっています。その必要がないからです。イエスの十字架の勝利により、神の子とされた私たちはどこででも、神を礼拝でき、神の教えに従って、神のみこころの内に生きることができる時代だからです。
かつて、私たち家族が一軒家を借りて開拓伝道をしていた時に、時々エホバの証人の方が訪問されました。私は彼の話を聞いてからこう言いました。私は、イエス・キリストを信じるクリスチャンです。キリストの十字架を通して罪赦された喜びを持っています。そしてこの喜びを持って私は神を礼拝する、そういう人生を歩みたいと思っていますと。エホバの証人の信者は残念ながら、罪が赦された喜びは持っていないのです。ぜひ皆さん、喜びや感謝にあふれた礼拝を捧げて参りましょう。



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