「この方は正しい方で、柔和で、ろばに乗られる。」ゼカリヤ書9章9節

Pastor Ino

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今日は、ゼカリヤ書9章に入ります。9章9節には、メシアがろばに乗って来られることが預言されています。読んでみましょう。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。」と書かれています。

皆さんもご存じでしょう。この預言は、イエスのエルサレム入場の時に成就します。マタイ21章1節から11節です。そこには以下のようなことが書かれています。イエスは二人の弟子を使いに出して、ロバを連れてくるようにと命じます。もし誰かが何か言ったら、「主がお入りようなのです。」と言いなさい。そうすればすぐに渡してくれますと(3節)。神の不思議な導きですが、これはゼカリヤの預言の成就でもあります。イエスはロバの背に乗ってエルサレムに入場するのです。群衆は、その時、大勢の者が、自分たちの上着を道に引いて、また、他の人々は木の枝を切ってきて、道に敷いて、イエスを歓迎するのです。人々は、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」と叫んだことが記録されています。群衆は奇妙な光景を目にします。それはメシアがロバの子に乗られたということです。それにもかかわらず、群衆はこの方をローマの支配から解放してくださるメシアとして、熱狂的に迎えたのです。今日取り上げる預言は、メシアは、ロバの子に乗られ、柔和な方であり、救いを賜る方であると言う事です。実はこの預言は、イザヤが預言した、仕える僕としてのメシアの姿と関連しています。しもべとしてのメシアの預言、それはイザヤ書53章に書かれています。いくつか抜粋して見てみます。

イザヤ53章3節、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。」
4節、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」
5節、「彼は、私たちのそむきの罪のために差し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
10節、「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。」
11節、「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。」
19節、「彼は多くの人の罪を負い。そむいた人たちのためにとりなしをする。」
これらは、しもべとして来られるメシアの姿を預言しています。私たちは、この方こそイエス・キリストであると信じる者たちです。

ゼカリヤも9章の9節で、「大いに喜べ、喜び叫べ、あなたの王があなたのところに来られる。」とあり、ろばに乗って来られるメシアが、平和をもたらすことを続いて預言します。ここでのエフライムとは北イスラエルのことであり、エルサレムとは南ユダ国を表します。9章10節ですが、エフライムからもエルサレムからも争いのための戦車や軍馬が断たれると預言します。そして戦いの弓も絶たれる、とあります。「この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。」とあります。全世界に、メシアによって平和がもたらされるとの預言です。私は、イエス・キリストこそメシアであると信じる信仰者です。そして本当に、仕えるしもべとしてイエス様が来られたことを喜んでいます。私のために十字架に着き、私の罪を赦してくださったゆえに、私はイエス様に心から感謝を捧げます。この方は、今でも全世界で罪の贖いの業をなしています。世界中にキリストを信じる信仰者が生まれているのです。そして、この方はもう一度戻ってこられて、全世界を裁かれるメシアでもあります。この方は、王であり、大祭司であり、預言者なのです。この方は私の救い主です。このメシアによって、私は救われ、礼拝をする民へと変えられました。そして、イエスの十字架の御業を心からほめたたえる者として、今生きることができます。このメシアは、謙遜な方である、そして十字架で私たちの罪を贖ってくださる方である。地上に平和をもたらすことのできる方である。それらの内容の一端をゼカリヤは、ろばに乗るメシアとして、9章9節で預言しています。では、どんな文脈の中でこのメシアが来られると預言しているのでしょうか。興味深いことに気づきます。この柔和な方が世界を裁かれる方として来られるからです。

9章1節には、宣告とあり、イスラエルの周りの国々を神が裁かれることが述べられています。まずイスラエルの北にあるアラムの首都ダマスコです。2節には、ツロとシドンが上げられています。ツロとシドンは、フェニキア人たちの町です。地中海に面し、イスラエルの北側の地域です。ここでツロが裁かれるとの預言がなされます。ツロは海に浮かぶ島の町ですが、大きな城壁に囲まれて、バビロンも攻め落とすことができなかった強固な町です。ところが大きな富を築いたこの町も占領され、その城壁も壊されて海に入れられるとの預言です。4節には、「主はツロを占領し、その塁を打ち倒して海に入れる。ツロは、火で焼き尽くされる。」とあります。歴史を見てみますと、バビロンによっては滅ぼされなかったこの町も、アレクサンドロス大王によって滅ぼされたのです。ツロは、7ヶ月かけて攻撃を受けて陥落をした。これがツロの歴史です。力を誇ったこのツロ、貿易で大きな利益を上げたこの町も、神によって裁かると4節には書かれています。

このツロが滅ぼされる様子を、ペリシテ人たちも見て恐れます。これが5節の内容です。今もガザと言う地名が残っていますが、このペリシテ人たちの誇りも神によって絶たれる、そう預言しています。ところがエクロンは、1つの民とされてイスラエルに吸収されていくとの預言が7節にはあります。吸収される、それも神の御心なのでしょう。歴史は複雑です。ペリシテ人の町エクロンは、イスラエルに吸収され、新たな歩をするのです。

皆さん、ゼカリヤの視点に立って周りの世界を見てみましょう。イスラエルの民は敵に囲まれているのです。イスラエルの者たちの多くが貧しく、彼らは奇跡的にエルサレムに戻れたのです。そこで、もう一度神を信頼して立ち上がろうとします。神殿を再建し始めたのです。しかし、周りの国々から攻撃を受ける恐れはいつでも存在したのです。

神の視点は、エルサレムに救い主が与えられ、この救い主によって彼らは救われることです。そして、周りの諸国にもメシヤによって勝利することです。ですから、彼らは大いに喜べ、喜び叫べと語られているのです。この方は、困難な中にある民に救いを賜る方なのです。

さらにもう一つ驚くこと、11節から17節までですが、ここにはギリシャ人に対して勝利する、そのような幻が描かれています。それも1つの弓の姿として、北イスラエルと南ユダ国が描かれています。13節には、「わたしはユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。」とあります。この弓が、ギリシャに勝利するとの幻です。「シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。」とあります。ヤワンとは、ギリシャ人を指しています。そして14節には、「主は彼らの上に現れ、その矢はいなずまのように放たれる。」とあるのです。15節には、万軍の主が彼らをかばうと、16節には、「その日、彼らの神、主は、彼らを主の民の群れとして救われる。彼らがその地で、きらめく王冠の宝石となる。」とあります。このメシアは、新たな国づくりをしようとしているイスラエルの民を助けるのです。そのような幻です。きらめく王冠の宝石のように輝くイスラエルの姿が描かれています。17節に、「それはなんとしあわせなことよ。それは、なんと麗しいことよ。穀物は若い男たちを栄えさせ、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。」とあります。神の祝福が豊かな収穫をもたらし、イスラエルがこの地に輝き出す。そのような幻です。

私は、イエス・キリストをいつかイスラエルの民も受け入れて、このしもべなる救い主の恵みを受け、平和を経験し、この平和のメッセージが世界に輝き出ることを願う者です。イエス・キリストはロバに乗って来られた。仕えるしもべとして生まれてくださった。そのイエス・キリストの恵みを知って、イスラエルの民もキリストの前にひざまずいて礼拝する、その日が来るようにと祈ります。

この方はもう一度戻って来られるのです。どんな敵にも勝利し、信仰者はなんと幸せなことよ、なんと麗しいことよと、信仰の告白をする日が訪れるのです。ろばに乗って来られる謙遜な方、イエス様の恵みをもっと経験して、主よ、戻って来てくださいとの祈りを捧げてまいりましょう。日々、神の恵みを知る私たち一人一人でありたいです。

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